kodebuyaの日記

労働問題が最近多くなった食レポブログです。

おじいちゃまより大叔父様に似ている。

安倍晋三首相が国会をサボってテレビに出演した件であるが、どうやら橋下徹に会いにいったんではないかという話もあるが実際のところはよくわからない。
以下は安倍晋三応援団を自認(?)する産経新聞の記事www.sankei.com

安倍晋三首相は4日、大阪市を日帰りで訪問した。国会開会中の平日に首相が大阪入りするのは異例だが、首相には新党結成を目指す大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長との友好関係を強調する狙いがあった。自民党総裁選後の中長期の政権運営を見据えれば、政治思想が近い橋下氏の存在は欠かせないからだ。

 「維新の党は対案を出した。私は評価する」

 大阪市を訪れた首相は地元の読売テレビのワイドショーに生出演し、安全保障関連法案の対案を出した維新をこう持ち上げた。司会の宮根誠司氏が維新の分裂騒動を念頭に「何やってんねん、橋下徹みたいな感じだが」と指摘したが、首相は苦笑いしながら「議論を深めるには対案を出すことがとても大切だ」と橋下氏をかばった。

 首相の大阪滞在中、橋下氏ら大阪維新幹部との接触はなかった。だが、わざわざ大阪まで足を運べば、橋下氏との親密ぶりを強く印象づけられる。首相としては、会期末の内閣不信任案をめぐる対応で、新党参加の意向を示している維新の党議員を取り込み、野党の一致結束を崩したいところ。新党結成後も来夏の参院選やその後の憲法改正などの際に“親安倍”勢力として協力を得たい考えだ。

いずれにせよ国会の論戦の場で矢面に立たされるが嫌で、自分の主張を垂れ流してくれるテレビ出演(しかも大阪のテレビ局!!)を「野党分断」の大義名分で選んだようにしか見えない。

しかしこの首相はやることが偉大なるおじいちゃま岸信介ではなく大叔父様佐藤栄作のそれに近いなと思えてならない。
佐藤栄作 - Wikipedia

退陣表明記者会見
1972年6月17日の退陣表明記者会見の冒頭、佐藤は「テレビカメラはどこかね? テレビカメラ…。どこにNHKがいるとか、どこに何々いるとか、これをやっぱり言ってくれないかな。今日はそういう話だった。新聞記者の諸君とは話さないことにしてるんだ。違うんですよ、僕は国民に直接話したい。新聞になると文字になると(真意が)違うからね。残念ながら…、そこで新聞を、さっきもいったように偏向的な新聞は嫌いなんだ。大嫌いなんだ。直接国民に話したい。やり直そうよ。(記者は)帰って下さい」と発言。最初は冗談かと思った記者たちより笑い声もあったが、佐藤はそのまま総理室に引き上げてしまった。
内閣官房長官として同席していた竹下登の説得で再び会見室にもどり、何事も無かったよう佐藤は記者会見を始める。反発した新聞記者が「内閣記者会としてはさっきの発言、テレビと新聞を分ける考えは絶対許せない」と抗議したが、「それならば出てってください。構わないですよ。やりましょう」と応え、新聞記者達は「じゃあ出ましょうか! 出よう出よう!」と全員が退席してがらんとした会見場で、一人テレビカメラに向かって演説した。
なお竹下によると、佐藤はあらかじめ記者クラブの了解をとってテレビのみの会見を設定しようとして、秘書官を通じて記者クラブ幹部に話をつけていた。しかしそこで行き違いがあり、記者クラブ側としては、佐藤がテレビに向かって独演することは了承したが、記者が会見の席に出られないという意味では受け取っていなかったため、最後の見送りという意味も含めて陪席することとした。そのため当日の席でまず佐藤が話が違うといって怒り、それに対して見送りのつもりで来ていた記者らも腹を立てて退席することとなったという[24]。
その日の朝日新聞夕刊は、事の顛末を「…ガランとした首相官邸の会見室で、首相はモノいわぬ機械に向かって一人でしゃべっていた[25]」と突き放すように締めくくった。全国紙が時の首相を「一人でしゃべっていた」などと書くのは前代未聞の出来事だった[26]

まぁ、安倍晋三ノーベル平和賞なんてもらうことは万に一つもないだろうが、まかり間違って憲法9条が受賞なんて話になれば、オスロの授賞式に安倍晋三が登壇するという悲劇が起きかねない。
まぁそうなったとしても、オリンピック招致のプレゼンで福島第一原子力発電所を「アンダーコントロール」といい、国立競技場を「他のどんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから、確かな財政措置に至るまで、2020年東京大会は、その確実な実行が確証されたものとなります」とその場受けする発言をしても屁とも思わない我らが宰相は平気な顔して受賞スピーチをしかねないから恐ろしい。

安倍晋三の「謝罪を負わない」と本多勝一の「謝罪を負わない」

今更感満載の話だけれど、8月14日安倍晋三が放った談話はやはり言及せざるを得ない酷い談話だった。

安倍晋三のいわゆる「戦後70年談話」であるが、相変わらず日本の戦後復興は引き上げた兵士の御陰だとか、日露戦争はアジア解放戦争だったとか、先の大戦は欧米諸国への挑戦だった的な薄っぺらいネトウヨ史観*1いう私が最大限引っかかったのは「子や孫の世代に謝罪を背負わせるべきではない」という点だ。

子や孫の世代に謝罪を背負わせるべきではないなんて、随分前に本多勝一が「中国の旅」で語っている。
しかし、安倍晋三のそれは「だから、今後『南京大虐殺は幻』といおうが『従軍慰安婦なんかなかった』といおうが,なんの問題も無い。だってボクの美しい国表現の自由が認められているんだから」という方向性にあるのに対し、本多勝一のそれはその後「だけれども現在日本でおこっていることには責任がある」と続く。
以下http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/movement/sinbun_yomitai/meigen.htmlから引用する。

南京大虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、 たしかに”一般人民”としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。 本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ 日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。問題は過去より現在 なのです。日本の一般人民は、日本敗戦後二十数年を過ぎた今なお、中国で日本人が何を したかという事実そのものを知らされていません。日本がまた侵略戦争への道を歩んでゆく 危険があるとき、それを私たちがもし何もしなしで傍観しているとしたら、こんどは 私たちに直接責任があることになるでしょう。過去の軍国主義を ”おわび” したところで、 何にもなりません。現在の軍国主義への危険を阻止することこそ、真の謝罪になるのです。 今度取材した日本軍のツメあとの報道は、このような意味で現在の軍国主義の進行を阻止する ための、ひとつの闘いになるものと信じます。」

安倍の言い方からは「じいちゃんやとうちゃんがさんざんあやまったんだからもういいよね。」ということしか感じられない。

*1:若しくは司馬遼史観というべきか

「替わりを連れてこい。だったら休ませてやる」は管理者の無能の証以外の何物でもない

使用者が労働者を解雇する場合は1か月以上前の解雇予告が必要であることはよく知られているが、労働者が退職する場合は退職の申し入れをした日から14日を経過するとその効力が生じる*1ということは周知されていなかったりする。
「え?うちの会社の就業規則だと1か月以上前に会社に申し出ることになってるけど?」
確かにそのような就業規則を設けている会社が殆どだと思うが、会社の解雇予告については労働基準法に定めがある一方で労働者側についてはどの法律をひっくり返してもそのような定めはない。
つまり法的な根拠のない紳士協定といって良い程度のものなのだ。
もちろん、「引き継ぎにもろくにしないで退職なんてされたら堪ったもんじゃない。辞めるなとはいわないがせめてそれくらいしっかりするのが社会人だろう」といわれれば、まぁそうだろうなぁとは思うが、一方で会社の一方的な意思表示である解雇の場合は30日以上前の解雇予告+自宅待機命令で引き継ぎをさせることなく退職させることもできるのだから、労働者側が退職する場合には引き継ぎを義務づけるというのも衡平を欠くようにも思える。

民法の規定は「当事者が」としかいっていないので、本来は使用者側も解雇の申出から2週間の経過で解雇の効力が生じるのだが、使用者側の申出は労働者に対する不意打ちとなり労働者を路頭に迷わせることになりかねない。また、使用者が解雇を労働者を支配する道具になりかねないおそれもあるため労基法で重大な修正が加えられている一方で、労働者側からの場合は労働者が次の行き先を決めている蓋然性が高く、労働者が路頭に迷うことも少ないことから民法の規定を修正していないということだ。
つまり、会社は突発的に労働者がいなくなること*2をある程度見込んで人事計画を作るべきだし、それも経営者の才覚なんだろうと思う。
そもそも辞めたがっている労働者を「規定だから」で縛り付けるのは考えようによっては憲法や労基法が禁じている「強制労働」と評価されかねないし、だからこそ労働者の退職については民法の規定する2週間の経過で効力を発することを労働法で修正しなかったのだろう。

何度も繰り返すが経営者は人事計画も重要な役割の一つでありそれを労働者に丸投げすることは役割の放棄だろうというしかない。

togetter.com
を読んだ。
確かに「急に休まれると迷惑だ」というのは十分に理解できるし「体調管理は自己責任」というのも現場の従業員が言っている分にはそのとおりだとも思わなくはないが「休むなら替わりを連れてこい」、「無責任だ」というのは、使用者*3の役割放棄と同じことだと私は思う。

ましてや、学生と知っていながら採用し、定期試験前に休ませず「仕事と試験とどっちが大事なんだ*4」などといいアルバイトに責任を擦りつけるような会社は、使用者に管理能力がないことの証だから早急に交代させるべきだと思う。

*1:民法627条

*2:労働者が交通事故で突然お亡くなりになることだってあるだろう

*3:ここでの使用者とは会社の経営層ではなく現場の統括管理者も含む、労基法上の定義のことだと考えていただきたい

*4:ブラックバイトに苦しむ若者たち。時給300円!? 「人間のクズ」と罵倒され… | 日刊SPA!

同一労働同一賃金は賃下げ圧力になるのでは

昨日「改正派遣法案が衆議院を通過した。
元々は自民公明vs野党という構造で論戦が繰り広げられる予定だったものが、維新の党が派遣法案に加え「同一労働同一賃金法案」を成立させることを条件に採決がなされたのであった。

同法は

通訳など専門26業務派遣労働者はこれまで働く期間に制限がなかったが、改正案が成立すれば派遣期間は他の派遣労働者同様、一律最長3年になる。一方、3年を過ぎても企業は労組の意見を聞いて人を入れ替えれば、派遣労働者を使うことができるようになる。
http://mainichi.jp/area/news/20150619ddf041010018000c2.html

というもので、極めて企業にとって使いやすい*1制度にしようとするものだ。
「いや、そんなことはない。同一労働同一賃金法が成立すれば、派遣社員の賃金が正社員並みに引き上がるのだから、派遣されている間は生活が安定するのでその間にスキルを磨けばさらに高給がもらえる職場に派遣されるようになるではないか」という考え方もできるかもしれない。

そう考えているならそれは甘い。
むしろ現状の日本において同一労働同一賃金は賃下げ圧力になり得るのだ。

実際私の以前いた職場ではこういうことが現実に起きた。
社長が突然「皆さんのお仕事は他社ではアルバイトがやっているので、基本給をアルバイトのそれに下げます。後は、インセンティブでお支払いします。皆さんの会社への貢献度が給料にダイレクトに反映します。」
そして想像のとおり多くの従業員の給料は引き下げられた。
現在派遣労働者は正社員の6-7割程度の給料なのだという。「皆さんの業務は派遣さんがやっていることと同じなのだから」と正社員の給料が引き下げられ、その結果「正社員と派遣労働者の給料は同一になった」と強弁することは十分可能なのだ。

同一労働同一賃金という考え方は決しておかしくはない。
しかしこれが現実の問題として労働者の生活の安定をもたらすための土壌が日本には欠けている。例えば産業別組合を作り企業と対峙するようなことができなければならないのではないかと「同一労働同一賃金」で大変な目に遭った私は思うのである。

*1:ということは労働者にとって不利だと言うことだ

即辞任じゃないのか

時間がないので簡単に。
橋下徹一派がもくろんだ大阪市解体*1だが、僅差とはいえ否決された。
「よくわからないことには賛成しない」という判断を下された大阪市民の皆様には敬意を表すものである。
その結果を受け橋下徹は選挙期間中に公言していた「政界引退」を改めて口にし、その余波を受け「維新の怪」の共同代表の江田憲司も代表を辞任する羽目に陥ったようだ。
橋下市長が会見 政界引退の意向表明 NHKニュース

大阪維新の会の代表を務める大阪市の橋下市長は、いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票で反対多数となったことを受けて、17日夜、記者会見し、「市長の任期まではやるが、それ以降は政治家はやらない」と述べ、年内に予定されている次の市長選挙には立候補せず、政界を引退する意向を表明しました。
大阪維新の会の代表を務める大阪市の橋下市長は、17日に投票が行われた、いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票で、反対多数となったことを受けて、幹事長を務める大阪府の松井知事と共に記者会見しました。
この中で、橋下市長は、今回の住民投票の結果について、「私が提案した大阪都構想は、市民に受け入れられなかったということで、間違っていたということになるのだろう。僕自身に対する批判もあるだろうし、都構想についてしっかり説明できていなかった僕自身の説明不足だと思う」と述べました。
そのうえで、橋下市長は「市長の任期まではやるが、それ以降は政治家はやらない」と述べ、今の市長としての任期は全うするものの、年内に予定されている次の市長選挙には立候補せず、政界を引退する意向を表明しました。橋下市長は、これまで、今回の住民投票で反対多数となった場合には、「政治家をやめる」と発言していました。

なんだ即辞任じゃないのか。
半年以上居座ることで「賛成を投じてくれた住民の民意が」とかなんとかいって前言撤回する可能性ものこされているのでまだまだ注視する必要があるだろう。
「恨」の政治家橋下を生き延びさせるようなことがあれば、どんなことをしてくるか考えただけでも恐ろしいからだ。


もし前言撤回したら代表を辞任する江田憲司はいい面の皮だと思う今日この頃だ。

*1:いまだに「と構想」といっているマスコミがあるが今回の住民選挙は大阪市を解体することの是非を問うただけだ

どちらにとっても大きなお世話な話だ(追記あり)

赤ちゃんザルに「シャーロット」命名も抗議で取り消しを検討 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

野生のニホンザルの餌付けで知られる大分市高崎山自然動物園が6日、生まれたばかりの雌の赤ちゃんザルを、英国で誕生した王女にちなみ「シャーロット」と名付けたと公表した。だが、その後、園に「サルに王女の名前を付けるとは英国に失礼だ」などと抗議が殺到したため、取り消しを検討する事態となった。

 園によると6日朝、母ザルにしがみつく元気な姿を職員が見つけ、今年最初の赤ちゃんと認定した。園は毎年、第1号の赤ちゃんに最近の出来事にちなんだ名前を付けており、3月27日から園内に投票箱を設置して公募していた。

 公募から、テニスの錦織圭にちなんだ「ケイ」などが候補に挙がった。しかし、日本時間4日夜、英王女の名前が「シャーロット」と発表されると、一気に同名が投票された。ネット投票を含めて総数は853通で、シャーロットは合計59票で最多となった。

 6日、名付けられたばかりの「シャーロット」も園で元気な姿を見せた。職員は「かわいい姿に大勢のお客さんが喜んでくれた」と話していた。

まぁ、こんなことで講義する輩は「ケイ」とつけても「世界で活躍する日本人の名前をサルにつけるとは何事だ」と、誰が頼んだわけでもないのに憤るんだろう。

英国王室はnews.yahoo.co.jp

「名前のつけ方は自由」とコメントした。

とのことだが、当然だろう。
どこかの国の動物園で生まれた赤ちゃんの名前が日本のやんごとなき一族縁の名前をつけたからといっていちいち怒ってけつの穴の小ささをアピールしてもしょうがないだろうしね。

しかし、これで名前を変えなくて良かった。
これなんか絶対アウトだろ(笑)。youtu.be

(追記)
名前が無事決まったようだ。
「シャーロット」変更せず 子ザル名付け騒動に終止符 高崎山自然動物園 [大分県] - 西日本新聞

8日に記者会見した大分市商工農政部の吉田茂樹部長は「多数の人がお祝いの意味を込めて付けた名前で、英国側から特段の指摘もないことから総合的に判断した」と述べ、名前を変えない方針を明らかにした。市によると、8日午後5時現在、市や園に対し、「シャーロット」の名前に否定的な意見が969件寄せられ、肯定的な意見が600件に上った。
 赤ちゃんザルは同日朝、母親に抱かれて姿を見せ、乳を飲んだという。来園した北九州市門司区の女性(28)は「おめでたくてよい名前だと思う。王女が大きくなって園に来てくれたらすてきですね」と話した。

本丸は裁量労働制の改悪だ

所謂「残業代ゼロ法案」が4月3日閣議決定された。
法案成立まで紆余曲折はあるのだろうが、第一次安倍内閣で頓挫した「ホワイトカラーエグゼンプション」の
焼き直し法案で、安倍首相自身も思い入れがあろうし、なによりこの制度の導入は財界の熱望するところでもあったので、今の国会内の勢力図を考えても成立するはほぼ間違いないと思わざるを得ない。残念だが。
朝日新聞は次のように報じている。
「残業代ゼロ」法案を閣議決定 裁量労働制も拡大:朝日新聞デジタル

政府は3日、労働基準法など労働関連法の改正案を閣議決定した。長時間働いても残業代や深夜手当が支払われなくなる制度の新設が柱だ。政府の成長戦略の目玉の一つだが、労働組合などからは「残業代ゼロ」と批判されている。2016年4月の施行をめざす。
新しい制度の対象は、金融商品の開発や市場分析、研究開発などの業務をする年収1075万円以上の働き手。アイデアがわいた時に集中して働いたり、夜中に海外と電話したりするような働き手を想定しており、「時間でなく成果で評価する」という。
対象者には、①年104日の休日②終業と始業の間に一定の休息③在社時間などに上限――のいずれかの措置をとる。しかし働きすぎを防いできた労働時間の規制が外れるため、労組などは「働きすぎを助長し過労死につながりかねない」などと警戒している。
改正案には、あらかじめ決めた時間より長く働いても追加の残業代が出ない「企画業務型裁量労働制」を広げることも盛り込んだ。これまでは企業の経営計画をつくる働き手らに限っていたが、「課題解決型の営業」や「工場の品質管理」業務も対象にする。
厚生労働省によると、企画業務型の裁量労働制で働く人は推計で約11万人いる。労働時間は1日8時間までが原則だが、制度をとりいれている事業場の45・2%で実労働時間が1日12時間を超える働き手がいる。対象の拡大で、働きすぎの人が増えるおそれがある。

この制度の本質が残業代ゼロというより「定額働かせ放題」にあるということは、佐々木弁護士のこちらの記事
「定額働かせ放題」制度・全文チェック!~繰り返される「成果に応じて賃金を支払う新たな制度」という誤報(佐々木亮) - 個人 - Yahoo!ニュース
を含める一連の主張の通りだと思うが、むしろこの制度の本丸は「裁量労働制」の拡大にあると私は思う。

そもそも裁量労働制とはどういう制度なのか?

労働基準法はこのように定義する。

使用者が、労使協定により所定の事項を定めた場合において、労働者を対象業務に就かせたときは、当該労働者は、その協定で定める時間労働したものとみなされる(第38条の3第1項)。

労使委員会が設置された事業場において、委員会がその委員の5分の4以上の多数による議決により所定の事項に関する決議をし、かつ使用者が当該決議を所轄労働基準監督署長に届け出た場合(届出なければ無効)、対象業務を適切に遂行できる労働者を当該対象業務に就かせたときは、当該労働者は、当該決議で定める時間労働したものとみなされる(第38条の4第1項)。

この制度は使用者にとって、相当の負担もあり、また、38条の3の規定する「専門業務型裁量労働制」については対象とされる業務が限定されているなど使い勝手がいい制度とは言えなかった。
「使い勝手がいい制度」ではないのは当然のことで、元来労働は労働者が自身の時間を提供し労働することでその対価を得るというものであり。
、佐々木弁護士のいう「結果に報酬を支払う」というものではないからだ。ましてや「結果」なるものが定量化されているならばともかく、事業主の希望する結果が出なければ時間に見合った報酬を出さなくて良いということになりかねない以上、この制度に手枷足枷をはめることは労働者保護を建前とする労働基準法の立場ではやむを得ないといえるからだ。
しかし朝日新聞の記事に寄ればこの改正案では「裁量労働制」の対象労働者の範囲を

「課題解決型の営業」や「工場の品質管理」業務も対象にする。

としており、マスコミの報道する「残業代ゼロ」対象労働者のような年収制限は盛り込まれていない。*1
思うに、「工場の品質管理」に「裁量」が入り込む余地があるとはとても考えられないし、「営業」も大なり小なり顧客の「課題を解決」する性格があり*2、この制度が成立すると日本の労使間の関係を考えると果てしなく長時間労働を強いられる労働者が急増することが予想されると言わざるを得ない。事業主にしても特殊な業務に従事する労働者より、圧倒的多数を占めるであろうそれ以外の余人をもって替え難くない業務に従事する労働者に残業代を払わずして長時間労働させることができるこちらの制度の方が魅力的であろう琴も容易に想像が付く。

この法案は閣議決定されたが成立に向け野党の同意を得るために「残業代ゼロ」の部分を撤回する可能性はあると思うが、本当に撤回すべきは裁量労働制の部分だ。
ゆめゆめ「残業代ゼロ」の撤回という「架空の利益」に騙されてはならないと思う今日この頃だ。

*1:年収は省令で決定されるとあるが、上述の佐々木弁護士の記事に寄れば年収は基準年間平均給与額の3倍の額を相当程度上回る水準として省令で定める額以上とありハードルはそれなりに高そうだ

*2:およそどんな仕事も課題解決型といえるだろう

それでも年金は悪い制度ではない。

確かに厚生労働省のマンガは問題がある。

厚生労働省がネットで公開したこちらのマンガが非難を浴びている。

いっしょに検証!公的年金 | 厚生労働省
特に批判を浴びたのは主人公の

今のお年寄りたちは教育や医療も十分でなかった時代に自分たちの親を扶養しながらここまで日本を発展させてきました。そのおかげで今の若い世代が豊かに暮らしていることを考えると受け取る年金に差があったとしてもそれだけで若者が損とは言えないと思いませんか?

という台詞で、確かに「論理のすり替えだ」「要約すると我慢しろってことか」と取られても仕方がないと思うし、荒っぽい言い方だ。厚労省は所謂「世代間格差」を是認しているのかといわれても仕方が無いとも思う。

さらにこれを擁護する記事
「若者が損とは言いきれない」 批判集中の厚労省「年金マンガ」はそんなに悪くない?|弁護士ドットコムニュース
がこれまた批判を浴びている。
こちらのはてなブクマ
はてなブックマーク - 「若者が損とは言いきれない」 批判集中の厚労省「年金マンガ」はそんなに悪くない?|弁護士ドットコムニュース
を見ると

gabill 一部の例外を持ちだして「一概には損とは言えない」と主張するのは、「勝つこともあるからパチンコは一概に損とは言えない」と言ってるのと同じ。

twisted0517twisted0517 世代間格差が問題って炎上してるのに「世代間格差はあるけど障害者年金 遺族年金はお得」とか一体何が言いたいんだかさっぱりわからない

Pi7Pi7 要約すると自分が障害者になって家族が死ねばいいってことだな

といったコメントが目に付く。

年金制度の有意性の例に遺族年金や障害年金を出すことは同意を集めにくい。

過去、このブログでも

若者に「年金を納めるな」と説く天木直人のたわごと - kodebuyaの日記
でそのような記事を投稿したが、この言い方をすると確かに

要約すると自分が障害者になって家族が死ねばいいってことだな

一部の例外を持ちだして「一概には損とは言えない」と主張するのは、「勝つこともあるからパチンコは一概に損とは言えない」と言ってるのと同じ。

といわれてしまう。
確かに現役世代(特に20代30代)が一番の不安や不満は老齢年金という人が生きている限り必ず訪れる保険事故についてなのであって、そこを正面に論じていかなければ説得力を持てないのではないかと思える。

現行の年金制度はどのような性質なのか

現行の年金制度で多くの国民が誤解していたのは老齢年金とは「現役時代に自分の納めた年金が政府に運用され、最終的に自分に返ってくる」という民間保険会社の販売する年金保険と同じものであると認識していたことだった。
現行の制度は「世代間扶養」を柱にし、その一方で公的年金を受給する際に感じるであろう*1スティグマを少なくするために現役時代に払い込んだ保険料を基に老齢年金の支給額を決定するというものだ。
つまり「現役世代から親世代への仕送り」が老齢年金の性質なのだ。

恥ずかしながら、私自身自分の経済的な問題があり親に仕送りはしていないが、それでも70歳を超える両親が人並みの生活ができるのはもちろん両親の若い頃の蓄えもあるにしても、それ以上にそれなりに年金が支給されていることで生活の基盤が安定していることがとても大きい。
老齢年金*2の支給水準は現役世代の収入の50パーセント程度を保つこととされているが、もしも年金制度がなく全てを自分の仕送りでなんとかしようとすると現役側の負担が極めて高くなり場合によっては共倒れという最悪の事態を招きかねない。
確かに、保険料は決して低くはないし、両親がもう健在ではない方にとっては「世代間扶養」といわれても困るのかもしれないが*3、こう考えればこれだけの負担でそれなりに戻ってくると評価してやっても良いのではないかと思っている。

制度の問題は少子化の対策が遅れたこと

老齢年金の問題を語るとどうしても高齢者の増加とそれに伴う年金支給額の増加がまずは問題になるのはしょうがないのだけれども、世代間扶養の性質を考えればむしろ早急な少子化対策が必要だった。
第1節 近年の出生率の推移|平成25年版 少子化社会対策白書(全体版<HTML形式>) - 内閣府
そこのグラフにあるように日本の少子化はここ20年度頃の話ではなく、そういった部分を所轄する旧厚生省のころから本腰を入れた対策をするべきであったがバブル景気など好景気のおかげで対策が後手に回ったのではなかったか。
あたりまえだが、今生まれた子どもが社会を背負い始めるには20年近くの年月が必要なのであって、言い換えれば「20年前の無策のツケが個々に回っている」のが年金制度の現状なのだと私は思う。

それではどうすべきか

一つは「世代間扶養」の理念を降ろし、納付と需給のバランスを同じにすることだ。
しかし、ここで問題になるのは現在進行形で受給されている方々の取扱で、「あなたは既に納付した以上に受け取っているから、今後は生活保護に回ってくれ」ということになりかねず、税金の投入が更に増えることが予想され現在の日本のように公的機関自ら「水際作戦」と称した憲法違反の行為をするような状況ではろくなことにならないことが容易に予想されるので認めるわけにはいかない。

そこで、次善の策だが国はとにかく少子化対策にリソースをさき、成果が出てくればそこから20年近く先までは言い方は悪いが食いつなぐ方策を次々打つべきだ。
と誰しもが思いつくようなことしか思いつかない。

*1:特に日本はその意識が強すぎる

*2:ここでは老齢厚生年金とする

*3:だから公的支援は「自助」だけではなく「共助」「公助」があるといわれる

いまさらながら気をつけたいこと

年末年始特に気をつけたいこと。
忘年会後の悲劇 労災認定、無情の線引き :日本経済新聞

本文は長いのでここでの引用は避けるが、この事件で問題になったのは「二次会以降の災害は労災認定されるのか?」だ。

そもそも労災認定されうるのか?

一次会の段階で罹災していれば労災認定されたと考える。
上記記事に寄れば

当日は午後から業界団体の会議があり、男性は会社の先輩と共に出席していた。会議が終わった午後5時半すぎ、あらかじめ打ち合わせていた有志8人が近くのそば店に集まり、忘年会が始まった。

まずは生ビールの中ジョッキで乾杯。その後は麦焼酎の一升瓶を1本頼み、それぞれが水やお湯で割った。男性は幹事役で、注文を取ったり酒をついだりと忙しく動き回った。

「来年は景気が上向くだろうか」「今年はこんな失敗をしてしまった」。同じ業界に身を置き、互いに取引もある者同士の話題は尽きない。男性は用意していたパンフレットをさりげなく取引先に渡し、新製品を売り込んだ。

とある。
確かに「有志の飲み会」ということで任意性が極めて高いものではあるが、記事にあるように「事前に忘年会の出席について上司の許可を得て、仮払金を受け取って」おり、かつ「用意していたパンフレットをさりげなく取引先に渡し、新製品を売り込んだ」というのであるから、会社の黙示の業務命令があったと言ってしかるべきだから、この時点で帰宅し、そこで罹災したということであれば通勤災害が認められることは間違いがない。なお、帰宅途中なので通勤災害なのであって、同人が幹事をしている宴会の席で怪我をしたということであれば通勤災害ではなく通常の労災が認められ得るといえる。
だからこのケースでは会社の承諾のない二次会後の罹災が労災(今回の事件では通勤災害)に該当するかが問題となる。

そもそも通勤災害とは

労働者災害補償保険法によれば、「通勤」とは
「通勤とは、労働者が、就業に関し、次に掲げる移動を、合理的な経路及び方法により行うことをいい、業務の性質を除くものとする。
1.住居と就業場所の往復
2.厚生労働省令で定める就業の場所から他の就業の場所への移動
3.1.に掲げる往復に先行し、又は後続する住居間の移動(厚生労働省令で定める要件に該当するものに限る。)」*1
と定義されている。
ここで問題になるのは条文でいう「合理的な経路及び方法」である。
家を出れば真っ直ぐ会社に行き、会社を出れば真っ直ぐ家に帰れる。その途中で事故に遭えば通勤災害として労災認定されることに問題は無いとして、人間である以上生理的な欲求もあれば、赤信号待ちや開かずの踏切で足踏みをしたり、交通機関のストや事故による交通事情で迂回をやむなくされることもある。また就業時間中に行くことが出来なかった通院などやむを得ない事由で寄り道を余儀なくされることも当然にあり得る。このような場合においても通勤災害が認められないとなれば労働者にとってあまりに酷な結果になることから一定の寄り道・道草であっても労災適用される取扱になっている。

しかし一方で、必要な行為といってもフィットネスクラブに通う、帰りに待ち合わせしてデートをする等までも含むことは難しい。
なぜなら、厚生労働省令で定める要件は日用品の購入や公民権の行使、自身の治療、親族の介護といったような「日常生活上必要な行為と認められるもの」に限定されるからだ((同法施行規則8条))

それではこの二次会が「日常生活上必要な行為と認められるもの」と言えるのだろうか?

通勤とは残念ながら評価できない

結果として、判決は労災を認定しなかったのであるが私自身もこの結論はやむを得ないと思う。
一次会は会社の許可を得た上での出席なのだから、そういう意味では一次会の席は社内の延長ともいうことができる。しかし二次会は私的な飲食と言わざるを得ない。この記事では罹災労働者が独身であったか否かの情報はないが*2遺族の主張を見る限りでは独身者であったようで罹災労働者食事を取ったことを抗弁にしているが、仲間と一緒に盛り上がったとはいえ、ラーメン店で長時間滞在する時点で帰宅経路を逸脱していると評価されるのはやむをえないだろう。仕事の話しかしなかったとはいっても、サラリーマンの飲み会で仕事やその関連の話をしないことはまず考えられず、その点でも遺族の抗弁は弱いように思える。

それではどうするべきなのか

可能な限り二次会もあることを会社に事前に予告しその承諾を得るべきだろう。それが難しければ、一次会に決裁権限者を連れ出してその場で二次会に行くことの了解*3を得るのが良いかもしれない。

最後に

遺族側の主張によると、男性は忘年会の前日、取引先の現場で徹夜で働き、当日は始業前に会社の会議室で2時間半ほど仮眠を取っただけだった。出勤してきた同僚が帰宅を勧めたが「今日は忘年会があるから」と断ったという。

ということだ。社畜とまではいいたくないが熱心に仕事をしていたのだろうことは容易に想像が付く。死の直前まで仕事の話をしていたにもかかわらず(会社から遺族見舞金が出ているかどうかはわからないが)労災認定されなかったことを考えるとなんともたまらない気持ちになる。
ありきたりだが故人のご冥福をお祈りいたします。

*1:同法7条2項

*2:既婚者は特段の事情がない限り帰宅途中の外食は日常生活上やむを得ない行為とは認定されない。どんな冷めた家庭でも家で食事はするものだということらしい(笑)

*3:とはいっても二次会・三次会と盛り上がった場合どこまでを命令の範囲とするかはやはり問題にはなるが

成功体験から逃れられない創業者について

安倍晋三の経済政策*1の恩恵を
一番うけるはずであった企業


の決算状況が酷いらしい。
ワタミ、客離れ加速で危機深まる 「質」劣化深刻な居酒屋、事故と苦情多発の介護・宅食 | ビジネスジャーナル
から引用する。

ワタミが11月11日に発表した今期(15年3月期)中間連結決算(14年4-9月)の最終損益は41億円の赤字(前年同期は6億円の黒字)となった。営業損益も10億円の赤字(同25億円の黒字)で、中間期の営業赤字は1996年の上場以来初となる。
 
 同日記者会見した桑原豊社長は「会社設立以来、最も厳しい結果」と、危機感を滲ませたが、その原因は主要3事業の総崩れ。特に主力の「国内外食事業(居酒屋事業)」が惨憺たる状況だった。

安倍晋三の経済政策のおかげで給料は上がったのだろうが、急激な円安・消費税の増税がそれを消したということだろう。
企業側としてもなんの手も打っていないということではないのではあろうが、それが実質的な値上げだったり、人不足を補うためにますます従業員に負担を求める内容なことが見透かされているのだろうと思えてならない。
「自業自得」の一言に尽きるといえばそれまでだが、結局のところ会社のガバナンスが参議院議員でありかつ創業者の顔色をうかがわなければいけないことが事態をますます悲惨なものにしている様に見える。

上記記事より引き続き引用する。

ワタミの弁当は具材が一見多彩でメニューは日替わりだが、味が毎日同じで、配達時刻が毎日バラバラで狂い、誤配も多いという指摘が多い
ワタミの弁当はいつ来るかわからないとの苦情が多い。賞味期限が当日午後10時なのに、午後7時を過ぎてから配達に来たとの苦情もある」(同関係者)
 その原因は、配達員の慢性的な不足にあるようだ。弁当配達員「まごころスタッフ」は主婦が中心で、完全出来高制の業務委託契約。同社の募集広告では「月20日、1日20軒程度で月収7万円」となっているが、同社関係者は「募集説明会で保険、税金など配達車の維持費とガソリン代、万一事故を起こした時の補償金や示談金などが自己負担とわかると、大半の応募者が席を立つ」と打ち明ける。
 中間決算発表資料でも、配達員募集単価の上昇と正反対に、応募数が12年9月の90%台をピークに昨年10月以降は50%を割り続けている。この採用難から来る配達員不足が、配達サービス品質の悪さを引き起こしているようだ。
 加えて正社員業務も配達員が行っていた偽装請負疑惑や、昨年12月には埼玉県熊谷営業所管内で配達した弁当に芋虫が混入していた事件が発生。他の営業所でも、人毛やビニールなどの異物混入に対するクレームが頻発している。
ワタミの弁当が事業開始以来昨秋まで食数を伸ばしてきたのは、リピーターではなく新規客の増加によるもの。味が毎日同じで配達がいつになるかわからないのでは、食数が急激に落ち込むのは当然だ。『狩猟型営業』の限界を示している」(同関係者)
 中間決算発表資料には「まごころこばこで裾野拡大も食数増にもつながらず」「まごころスタッフ増員に向けた取り組み強化も施策の効果がなく、増員できず」など反省の文言が並んでいる。

創業者自身が、居酒屋を開業するために貯めた資金は某運送会社で稼いだものと記憶している。
いまでこそ運送業の給与はしれているが、彼が勤務していた頃の某運送会社は「手取りで50万円以上!!このお金をなんに使いますか*2」といった宣伝文句でドライバーを雇っていた。今にして思えばそんな美味しい話はなく、実際は「保険、税金など配達車の維持費とガソリン代、万一事故を起こした時の補償金や示談金などが自己負担」に近いものがあったのではなかったか。

実際問題としてこのビジネスモデルが成立するのは、破格の収入があるので多少の出費や万が一の補償も可能なので安心だということにあるのであって、いくら短時間労働前提の主婦がメインとはいえ「配送にかかる全ての責任はあなたが負いなさい。給料は月7万円ほどね」では給料の割りにはあまりにも万が一のリスクが高すぎて、まともな人なら見向きもしない素人さんには手が出せない的な仕事になってしまっているといわれてもやむを得ないだろう。

創業者にしてみれば、「そんなことは僕もしてきたことであたりまえ。仕事なんだから出来高と時間に応じた給料支給も当然」という自分の出世モデルに拘泥してしまい、また。現経営陣も創業者の意向に沿った給与体系を作ることに汲々としてしまい誰も不幸になりかねない制度を作ってしまったようにしか思えない。

創業者の顔色ばかり見る経営をすると上手くいくことも上手くいかなくなるの典型例だが、創業者は何が問題なのかわかっていないんではないかと思わせるところがますますアレ感を増している。
私が大嫌いな評論家堺屋太一は「成功体験から脱却せよ」と自分ではできないこと*3を人様にたれるが、その言葉は創業者に正に当てはまる言葉だ。

彼はまだ老害と言われるような年齢ではなかったはずだが、実際にはそうなっているんだろう。
もしもそうでないのであれば、彼の耳には最早過去の様々な創業者のように心地よい言葉しか届かなくなっているんだろう。
いずれにしても悲しい話だ。

*1:そうすること自体が宣伝になっている実態がある以上あえてマスコミの使う用語は使用しない。

*2:25年以上前の話なので正確かどうかは保証できない

*3:万博というハコもので成功した経験を夢再びと言わんばかりに大阪10大名物というハコもの企画をぶちまけその結果誰も望まない道頓堀プールを作るという話になった(笑)