kodebuyaの日記

労働問題が最近多くなった食レポブログです。

大衆の支持がなければ滅んでよし

この記事については、いくつものブログが意見を表明していて、今更感があるんだけれど、やはり言及せざるを得ない。
お知らせ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

知事時代、「文化は行政が育てるものではない」と公言してきた橋下徹・前大阪府知事が19日に大阪市長に就任するのを前に、市内の音楽や芸能関連の団体が戦々恐々としている。

 橋下知事当時、府が出していた補助金を全額カットされた大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)や、「観賞したが、2度は見ない」と酷評された文楽団体などは、市から多額の補助金を受けているためだ。

 「補助金がなくなると、本当に大変なんです」

 大フィルの佐々木楠雄・常務理事は11月30日、市の担当者に電話で、楽団の厳しい台所事情を訴えた。

 指揮者の朝比奈隆さんが創設に関わった大フィルに対しては、市が「市の文化振興に不可欠」(平松邦夫市長)として補助金1億1000万円を支出。年約10億円の運営費の一部に充てられてきた。

 だが、橋下氏は知事時代、「行政や財界はインテリぶってオーケストラ(が大事)とか言いますが、大阪はお笑いの方が根付いている」と発言。大フィルへの年約6300万円の府補助金を2009年度から全額カットした。市長になった橋下氏が再び大なたを振るえば、運営難は必至で、「死活問題だ」と佐々木常務は焦りを隠さない。

 実際、橋下氏に年約4億円の府補助金をゼロにされた日本センチュリー交響楽団は今年度、橋下氏との合意で運営財源に回せるようになった基本財産20億円のうち、約2億6000万円を取り崩し、再生の道を探る。コントラバス奏者、坂倉健さん(53)は「このままでは大阪からオーケストラが消えてしまう」と危機感を募らせる。

 大阪市から年5200万円の補助金を受ける財団法人・文楽協会も憂鬱(ゆううつ)だ。

 橋下氏は09年8月、「文楽を見たが、2度目は行かない。時代に応じてテイストを変えないと、(観客は)ついてこない」と発言。07年度に3600万円あった府補助金は11年度、2000万円に減った。同協会の三田進一次長は「採算が難しく、行政が手を引くと土台が崩れる」と戸惑う。

 府や市など主催の「ミュージシャングランプリOSAKA」は、「トイレの神様」が大ヒットした植村花菜さんが02年に優勝し、メジャーデビューにつながった大会だ。しかし、府助成金は08年度に廃止され、大阪市が府分を穴埋めする形で負担してきた。関係者は「市の予算が削られれば、10周年の今年が最後の大会になるかも」と危惧する。
(2011年12月3日17時48分 読売新聞)

これについては「弱者から切る」、「切りやすいところから切る」という「橋下流」の典型例といえる」*1という批判も、「そもそも愚民なくして暴君は存立し得ず、橋下の暴言も大衆的なルサンティマンと共鳴しないかぎり、破壊力は持てない」*2も全く正しいのでその点については書くべきことは少ないのだけれども、気になるのは橋下自身がわざと醸し出している反知性主義だったりする。

橋下は言う。
「文化は行政が育てるものではない。」
「補助金がなくなると傷を受けるくらい、大阪の文化は弱々しいのか。」
「(文化は)お客からお金を出してもらえる中身でないと生き残れない。」
「芸術性の高さを求める楽団を税金で抱える必要はない」
これらの発言でで見え隠れするのは、橋下の考える芸術というのは大衆に阿るくらいでなければならず、大衆のわからないようなものを作り、それで成り立っていけないものは自業自得だ。
文楽であろうがなんであろうが、大衆の支持がないものは消えて当然なのだということだ。
経済的ダーウイニズムとでもいえばいいんだろうか。
芸術って本当にそんなものなんだろうか?
大阪にある「太陽の塔」は橋下以下大阪府民のどれだけが理解しているのだろう。大阪府知事が理解できないからと言って朽ちるに任せてもいいとでもいうのだろうか?
芸術は企業の成果とは異なる。
企業は「今」の市場に評価され生き残るか今すぐ市場から退場するかの二択しかないが、芸術は時間の熟成も必要なのだ。市場主義・経済的ダーウイニズムとは別の時間で考えなければならないと思うのだが。
そこに大衆至上主義を入れることは芸術を堕落させるだけだとしか思えないのだが。

大衆は(大阪に限らないけど)自分の興味のあることしか見ない。
橋下は「大阪はお笑いの方が根付いている」というが、それならばいったいどれほどの人間がワッハ上方に行ったというのか。
大阪は粉もの文化だというが、もしそのような博物館が大阪にあったとして、どれほどの人間が足を運ぶのだろう。
大衆の興味は「今」旬のお笑い芸人だし、「今」一番おいしいお好み焼きだったりする。
それが悪いとは言わないけれど、だからといって「今」しか残る価値がないとするのはどうなんだろうと思う。確かにお笑いや、音楽を深く研究するのはごく一部の「インテリ」なのだろうけど、その成果が大衆の手に届くことがない社会もいかがなものよと思ってしまうのは私だけなんだろうか。


橋下を評価するのにナチズムを絡めるのは今更感がこれまたあるけど、この記事についたはてブ*3を見ると、橋下の主張と同じような意見が散見される。大阪府民は熱狂を持ってとまでは言わないにしても、おそらく賛成してしまうのだろう。
ナチスの退廃芸術*4もドイツ国民の熱狂的な同意があって成立したんだろうなと思ってしまう。

大阪は今や第三帝国になりつつあるのかもしれない。

*1:http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20111204/1322972843

*2:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111204/1323005896

*3:http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111203-OYT1T00483.htm

*4:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%80%E5%BB%83%E8%8A%B8%E8%A1%93