kodebuyaの日記

再分配にYES!!そして橋下にNO!!の食レポブログです。

鍋パーティーの新着記事『NHKスペシャル「ヒューマン なぜ人間になれたのか そしてお金が生まれた」

鍋パーティーから新着記事Nabe Party 〜 再分配を重視する市民の会 NHKスペシャル「ヒューマン なぜ人間になれたのか そしてお金が生まれた」
が公開された。

先日放送されたこのNHKスペシャルはたまたま私も見ていて、いろいろ思うところはあったが、
特に録画をしていたわけでもなかったので、今回の記事を読んで記憶を新たにした次第。
その中でも印象に残ったのはやはり

発展と格差。私たちはそのバランスを自らとることはできるのだろうか?
その答えを脳に探った研究があった。アメリカ・ラトガース大学で興味深い実験が行われた。

1.被験者二人にくじを引いてもらう
2.くじの片方には"Rich(金持ち)"と書いてあり、もう片方には"Poor(貧乏)"と書いてある。
3.Rich には参加料として80ドル渡して、Poorには30ドルが渡される。二人の間にわざと格差を作る。
4.追加の50ドルをRichかPoorのどちらかに渡す。
5.このとき調べるのはRichの脳の快楽の中枢「腹側線条体
6.Richが50ドルもらい、所持金が130ドルに膨れ上がったとき、Richの「腹側線条体」は0〜5段階レベルでやや上昇(1のレベル)になるのがわかる。やっぱり所持金が増えてちょっとうれしいということ。
7.ところが別の被験者のグループでRichではなくPoorに50ドル渡して、ともに80ドルとなった場合、格差はなくなる。
8.その時のRichの「腹側線条体」の反応レベルは、なんと5のレベル。きわめて強く反応していることがわかる。20人に同じ実験をしたが同じように強いレベルを示していた。

という箇所だった。
はじめは「なるほど再分配は人間の根本なんだ」と思ったのだが、その一方でその結論の前提たる実験について、条件を変えればどうなるのだろうと思いが至った。

当該記事に付いたはてなブックマークにもあるのだけれど

myogab
その金持ちと貧乏をクジでなくテストで決めていたら、結果は同じだろうか? 多くの富裕層が現状を実力の正当な評価だと思っている限り、あの実験結果には期待できない。顔を見なきゃ改革断行できる!と思う者も…。 2012/03/12 Add Star

という点が私もやはり気になった。

このテストはくじ引きでRICHとPOORとを分けているのだけれども、これが追加の50ドルを渡された際の反応に影響が出ているのではないかな?と思う。被験者は偶然によって分けられ、なおかつお互いの顔を見ている訳で、追加の50ドルをRICHに渡された場合うれしいとは思うだろうが偶然の産物でしかないと思いが至ると反応が低いということだし、POORに渡された場合にはRICHは偶然自分はRICHなのだとやはり思うと、他人が喜ぶ姿を見れば喜ぶと言うことなのかもしれない。

実際の富裕層はどうなんだろう?
実力で今の地位を勝ち取ったということであれば、自分にさらなる報酬があって当然、努力もしないものに報酬があるなんてとんでもないという考え方になるのではないかな?
そう今話題のどこかの市長のように「競争に勝」てば全てよし。勝てないのは努力が足りないということが彼らには当然の倫理ということになっているのかもしれない。
だいたい自分の成功は自分の努力「だけ」なんだろうか?
大富豪みたいな国 - kodebuyaの日記にも書いたけれども努力できる環境は誰が作ったのか?その点をぶっ飛ばして、自分の実績を成功と勘違いし、果実は全部自分のものと思えるのだろうか?
デヴィドハーヴェイ教授は新自由主義は「「新自由主義」とは低成長の時代において、これまで行っていた一定の再分配を行うシステムを破壊し、富を再び資本=金持ちのほうへと移転させるためのプロジェクトだ」と言ったが、このプロジェクトを支えたのが小泉や竹中や渡邉美樹の「努力した者が報われる社会」という言葉だったのではなかったか?
以前とある方に「ノブレスオブリージュ」という言葉にお叱りを受けたが、日本の富裕層の問題は自分の努力の果実は自分だけのものだとし、果実を得ることが出来ない者を努力が足り内の一言で切り捨てることが問題なのではないのかと思う次第だ。

ここからは雑感
番組は物々交換(これは人間しか行わない行為だそうだ)から、貨幣の前身としての小麦、古代ギリシャの銀貨、古代ローマの銀貨と進んでいった。

はじめカメルーンの部族の紹介から始まるのだが、その部族の一部は狩猟の獲物は(当然何時までも保管できないので)全ての部落民に分け与えていっていた。
生ものを何時までも保管することは別の問題(疫病とか)になるので、その日に得た食料はその日のうちに消費させるこのシステムは合理性があると言えるのだろう。
それが、なぜ貨幣という抽象的なものが流通できるようになったのかは難しい問題だが、番組を見て感じたのは人間は知恵が発達するにつれて「有期」な自分と「永遠」について思いをはせたのではないだろうか?永遠に生きていくために永遠の価値があるものを必要とするということで。

だから永遠を具現化するならそれは小麦(植えれば収穫でき、それをまた植えることができる)でもいいし、銀貨でもいい。あくまでも「永遠」という抽象的な者の具現化であるから銀の含有率は低くてもいいと。貨幣の価値を永遠に保証できるなら、銀や金といったレアメタルである必要すらない。紙切れでもいいし、FXのようなその道のプロでさえ分かっていないようなものでさえかまわないということだ。
手塚治虫の「火の鳥」ではないが、永遠の命を求めた人間の思いが貨幣に具現化しているのかもしれないし、だからこそ経済の問題はいろんな説が乱立できるのかもしれない。