kodebuyaの日記

労働問題が最近多くなった食レポブログです。

ぼくのかんがえるせかいひょうじゅん(追記あり)

マスコミで顔を見ない日がないと言っても過言ではない大阪市市長の橋下徹だが、このようなことを宣ったようだ。

【激動!橋下維新】公選教育委員「財源確保もしてくれるなら大賛成」 民放テレビで橋下市長 - MSN産経west

(前略)
また学校行事の際、教職員に国歌の起立斉唱を義務付けた大阪府、大阪市の条例にからみ、高校の卒業式で国歌斉唱時に手を前に組んだり、マスクをつけたりした教員がいたとして「国際社会においてそれは非礼。当たり前のルールを教育現場でやらないと、子供たちのためにならない」と批判した。

私事で恐縮だが、私がかって勤めていた会社では入社時の研修で会社の決めた「挨拶の基本用語」を大声で斉唱したりするような会社だったのだが、研修時に当社の「基本姿勢」ということで手を前に組むことが(その会社にとってだけど)正しい姿勢であると教わったのであった。

ちょうどこんな感じ。

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まさに大阪府知事の格好(笑)

確かに小中学校の「気をつけ」の姿勢は体側に手を添えるものではあるのだけれども、大学や高校の応援団なんかでは手を後ろに組むことが多いだろう。社会に出ると私が教わった姿勢も橋下がいうような非礼なものではなかったりする。
彼は何かあると「民間」を基準に持ち出したがるが、民間は千差万別なものであったりする。
国歌についても、彼は世界では国歌が流れれば起立して斉唱するのが世界標準だというのだけれども
あのアメリカですら自国国旗の焼却が禁じられていない理由 | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
によれば

「国歌斉唱の際に手を前に組んでいるのは失礼で、国際社会では許されない」という主旨のものがありました。この種のものとしては、スポーツ選手などが海外での試合に臨んだ際に国歌を歌っていないのは「国際社会での常識に欠ける」というような言い方があり、市長もそのような主旨での発言を以前にしていたと思います。

 確かに1つの考え方です。スポーツの対外試合というのは一種の民間外交ですから、それなりの外交儀礼というものがあり、他国の国旗国歌への尊敬だけでなく、自国の国旗国歌に対しても儀式の格調を維持するためにも、国家を代表している敵味方相互をしっかり認めるという意味合いからも必要だと思います。

といい

国旗国歌というのは対外的にその国家の名誉を代表する一方で、国内的には思想信条の統制や政治的な権力への従属を強いることに使ってはいけないからです。民間を含む外交局面においては自他の国旗国歌は尊重されなくてはならないが、純粋に国内政治の局面においては、国旗国歌の持つ権威を政治的な圧力や示威の道具とすることはできないという考え方、そのような言い方もできると思います。

 日本の法律においても外国の国旗を損壊した場合にはこれを罪に問う法律があります。当然だと思います。ですが、この法律は自国国旗には適用はされません。これも当然です。日本の領土内において、外国国旗の損壊は外交問題になりますが、自国国旗の損壊は国内問題であり、国内問題の解決においては言論の自由や思想信条の自由は優先されるべきだからです。

 最初の問題もこれと全く同じです。国内においては「国体=国のかたち」自体を論争の対象とするような言論の自由というのは、民主主義国である最低条件の1つであり、そのために外交上の国旗国歌への儀礼とは意味合いが違うのです。その意味で、国内儀式でも起立は必要でしょうが、腕組みまで禁止するのは過剰、まして国内問題に「国際常識」を絡めるのは実は「国際的にも常識ではない」と思われます。

という。

アメリカだけの話ではないのかと思われるかもしれないが諸外国の例ではよくある質問と回答(その2 国歌についての国際常識) - Togetter
このなかで

ベルギーで建国記念日の21日、次期首相として組閣要請を受けているキリスト教民主フランドル党(CD&V)のイブ・ルテルム(Yves Leterme)党首が、公共放送の取材に対して何の祝日かを答えられず、またベルギー国歌を歌うよう求められてフランス国歌を歌った。

というのにはうけた。

思うにスポーツの世界大会では国歌が流れるが、特に試合前では選手は神経を試合に集中させねばならず、そのために国歌を歌わない選手もいれば、過度の緊張を和らげるために国歌を歌う選手もいるということだろう。なにも強制されるような文脈の中で選手はいるわけではないということだろう。

それはさておき、橋下のいう「民間」や「国際常識」はなんの確固たる根拠があるわけではない。
手を前に組むのが礼儀のところもあればそうでないところもある。
国歌を歌うことを強制される中国や橋下の嫌いな北朝鮮という国もあれば、国旗を自国民が燃やしても罪に問えない国もある。

橋下の危険なところは、自分の恣意的な判断で「民間」や「国際常識」を決め、それを持ち出すことで自分の政策(ともいえないと思うけど)を押しつけることだ。
だいたい「国際常識」とかいうなら自分の政策を批判されたら「大阪の独自の事情」なんて持ち出してかわそうとするんじゃないよ。

  • (追記1)

写真を見て気がついたが、レフェリーやコミショナー(?)は胸に手を当てたり、手を大阪府知事と同様に前に組んでいるね。
体側に手をそろえているのは、橋下だけに見える。
橋下以外はみんな失礼な連中だということになるな(爆)

  • (追記2)

そういえば「民間」が大好きな橋下は大学を卒業してから自分の事務所を開設するまでどこかの「民間企業」につとめていたことがあったんだっけ?*1

橋下は自分の中に「そうあってしかるべき」民間の姿や教員や現場公務員の姿や学生の姿というのがあって、それが標準なんだと思い込んでいる節がある。
そして自分の基準に合わないものはどんどん切り捨てていく。

民間では実績を出せない(ように見える)文楽やオーケストラを切り捨て、公務員の世界では「現場」で*2橋下の基準に合わない連中が非難の対象となっている。橋下の基準は彼にしか分からないし、事情が変われば*3非難の矛先はいくらでも変わる。

橋下が独裁といわれる所以はその恣意性にあるといわざるを得ないし、ましてや誰が次の非難のターゲットになってもおかしくないという点についていえば危険度が極めて高いと言えるだろう*4

*1:[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E5%BE%B9#.E5.BC.81.E8.AD.B7.E5.A3.AB.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6]では所謂民間会社に所属した経歴はなさそうだ。

*2:これがポイント。橋下が叩くのはあくまでも現場の職員で、市役所内の上級職ではない。彼らは橋下同様数々の難関試験に勝ち残った人々であり彼にしてみれば同志ともいえる。

*3:世間うけが良くないと判断すれば普天間移設発言のようにその発言を変えるだろう。

*4:この点についてはhttp://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1247.htmlが詳しい