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kodebuyaの日記

再分配にYES!!そして橋下にNO!!の食レポブログです。

釣り針も釣り方も必要だし釣り人が安定できる足場も必要

貧困 格差

みんなの党の参議院議員で松田公太という人がいる。
タリーズジャパンの元代表である。
そんな彼が、かってこんなことを呟いて少し話題になった。
Twitter / matsudakouta : そんな事で自殺し��

そんな事で自殺したら駄目だよ。就活がうまくいかなければ、起業でも何でもしてみよう。死ぬ気になれば何でも出来るはず。 :「就活失敗し自殺する若者急増…4年で2・5倍に」(読売オンライン)→  http://www.yomiuri.co.jp/national/news/

言いたいことはわからなくはないのだけれども、このデフレ下の日本では市場は縮小しているばかりなのだから、起業することは大きな博打と言える。大体その資金をどこから捻出せよというのか?20代そこそこの若者が纏まった融資を受けるのは極めて難しいと思えるのだが同氏の元職場が融資してくれるとでも言うのだろうか?
などと考えていたら、一つ方策があったた。といっても日本の話ではないのだけれども...というと気づかれるかたもいらっしゃるかもしれない
マイクロファイナンス」を使えば良いのだ。

マイクロファイナンスとは何か?
マイクロファイナンス - Wikipediaによれば

貧しい家庭の主として女性に小口のお金を融資する機関。様々な形態の機関がある。例えば、グラミン銀行のような特殊銀行であるもの、完全な商業銀行であるもの、NGOであるもの、等である。Micro Finance Institution(MFI)の貸付利率は、月に2~7%である。
日本などに比べれば高めの利率水準だが、融資対象者の信用調査や回収を行うためには機関の職員が直接、訪問する必要があるなど、非常にコストがかかる。そのため、貧困の削減とともに事業の持続可能性を重視するMFIが、こうしたコストを賄うために、上述のような利率が必要不可欠なのである。
さらに、もしMFIがない場合には、女性たちが融資を求められる先は、銀行等が利用できない以上、非合法の高利貸しなどしか残されていない。長期にわたって、安定的かつ低利率の融資を求めている彼女たちにとっては、上述の利率のほうがはるかにリーズナブルで魅力的である。

というものだそうだ。

そしてこの制度は2006年に「底辺からの経済的および社会的発展の創造に対する努力」を理由にノーベル平和賞を受賞した。
もちろんこの制度は生活費に限った話ではない。
ジェトロ・アジア経済研究所のこちらの記事金融-マイクロファイナンス - ジェトロ・アジア経済研究所によれば

当初は、貧しい人々はお金を借りて商売しても大して稼げないので結局借金が膨らむだけだ、と、貧困層への融資に懐疑的な声が大半でしたが、「貧しい人々も 企業家としての能力を持っており、資金さえあれば商売を始めて利益を得ることができる」との信念の下、様々な革新的なスキームを取り入れ、返済率の高い貧 しい人々のための銀行を作り上げることに成功したのです。このグラミン銀行の成功により、世界中至る所で同様のマイクロクレジット機関が設立され、貧困層 への融資が積極的に行われるようになりました。近年では、融資(クレジット)のみならず、貯蓄や保険など、広範な金融(ファイナンス)サービスも行われる ようになってきたため、マイクロファイナンスと呼ばれるのが一般的です。

ということだ。

素晴らしい制度のようだが、この制度が貧困撲滅に寄与したのかというと評価が分かれるようだ。上記のジェトロ記事は続けてこう言う。

よく目にするのは、以下のような記述です。

「借りる前の年間所得は100ドルだったが、借りた後の年間所得は150ドルになったので、マイクロファイナンスは50ドル分の効果があった。」

これは正しいでしょうか?

残念ながら、正しくありません。50ドル増えたのは、この地域の経済が発達したからかもしれませんし、経験を積んで稼ぎが多くなったからかもしれません。つまり、マイクロファイナンスがなかったとしても、所得は増えていた可能性があるわけです。

では、このような比較はどうでしょうか?

「借りた人の所得の伸びは50ドルだったが、借りなかった人の所得の伸びは20ドルだった。したがって、マイクロファイナンスは30ドル分の効果があった。」

地域経済の発展や経験の蓄積は、借りた人にも借りなかった人にもあるはずなので、これでマイクロファイナンスの効果が正しく測定できそうです。が、しかし、これも正しくないのです。

借りた人は、お金さえあれば結構儲かるビジネスができる、という見込みのある商才のある人であり、一方、借りていない人は、お金を借りてビジネスしてもうまくいく見込みがもてない商才のない人である可能性が高いでしょう。お金を借りた商才のある人は、仮にお金を借りていなくても、商才のない人よりも所得の 伸びが高かったかもしれません。つまり、お金を借りた人とお金を借りていない人とでは、お金を借りていない場合の所得の伸びが全く違う可能性が大きいので、両者を比べてマイクロファイナンスの効果を測ることはできない、というわけです

そしてこのように記事を締めくくる。

一時的な援助でなく、自立を促すための援助を、ということで、「魚を与えるより釣竿を」ということがよく言われたりします。マイクロファイナンスとは、 ちょうど、釣竿を持っていない人に竿を与えるのと同じことです。しかし、釣竿を与えたとしても、そもそも竿をうまく使えない人には、うまい釣竿の使い方を 教えてあげなければ魚は釣れないのです。

マイクロファイナンスについてはブログ「事務屋家業」貧乏人に足りないもの―『貧乏人の経済学』 - 事務屋稼業の紹介するAmazon.co.jp: 貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える: アビジット・V・バナジー, エスター・デュフロ, 山形浩生: 本において同書を以下のように引用する。

貧乏人の事業はしばしば、特定の起業衝動の反映というよりは、もっと通常の雇用機会がないときに、仕事を買うための手段でしかないように見えます。事業の多くの運営理由は、一家のだれかが暇で(あるいは暇と思われていて)、少しでも稼いでくれれば助かるから、というものです。(略)貧乏人による多くの事業は、その起業家精神を証明するものではなく、むしろ彼らの暮らす経済がもっとましなものを提供してくれないというひどい失敗の症状なのかもしれないのです。

世界中の貧乏な人に対するアンケートで、わたしたちは「お子さんたちの将来にどのような希望を持っていますか?」という質問を含めるようにしました。結果は驚くべきものです。どこでこの質問をしても、貧乏人のいちばんありがちな夢というのは、子供に公務員になって欲しいというものなのです。

特に公務員の重視は、安定性への欲求を示唆しています。こうした仕事はあまりやりがいがない場合ですら、きわめて安定していることが多いからです。そして実は雇用の安定性こそが、中流階級と貧乏な人々との大きなちがいのようです。

所得そのものだけでなく、毎月所得があるという認識から人々が得る、未来に対する支配の力を得た感覚こそが、こうした(注:工場で働く子持ちの)女性に自分と子供のキャリア構築に専念する余裕を与えてくれたのかもしれません。未来があるのだという発想こそが、貧乏な人と中流階級との差なのかもしれません。

安定した予測可能な所得は、将来の支出に コミットできるようにしてくれるし、いま借りるのも容易で安上がりにしてくれます。だから世帯の一人が安定した職につけば、支払いに問題がないことはわかっているので、学校もその一家の子供をもっと受け入れやすくなり、病院ももっと高い治療を実施してくれます、そして一家の他の人々も、自分の事業成長に必要な投資ができるようになるかもしれません。
 だからこそ「よい仕事」は重要なのです。よい仕事とは安定した高給の仕事です。そうした仕事は中流階級がうまくこなせる各種のことを実行するのに必要な、心の余裕を与えてくれます。この発想に、経済学者たちはしばしば抵抗してきました。その根拠はしごくもっともなもので、よい仕事は高価な仕事なのだし、高価な仕事は数が少ないはずだ、というものです。でも よい仕事のおかげで子供たちが才能を最大限に発揮できる環境で育つのであれば、仕事の絶対数を多少犠牲にしても、よい仕事を多目につくる価値はあるかもしれません。

大手の企業では社内起業制度を用意し、社員の創意工夫を喚起させようとするところもあると聞くが、これは上記引用の『貧乏人の経済学』で解釈すれば、安定した立場が自分のキャリア構築に専念させ、それが起業のヒントを生み出すということになるのだろうか。そして、かっては某一流金融機関に勤務していた松田公太がその対場であったであろうことは容易に想像できる。

松田公太の言い方は今の状況は安定したジェトロの最後の言い方をまねれば、釣り針も少なく、釣り方を知らず、さらに足下がしっかりしていない若者に対してとりあえず釣りをしろ。無理だったら石でも何でも投げろ。死ぬよりはましだろと言っているようにしか私には聞こえない。自分はどうだったのか?状況を無視した説教なんてなんの役にも立たないだろう。

べつに松田に限った話ではない。
前原民主党政調会長や橋下徹大阪市市長も同じことだ。
どちらも貧困の中から身をなしたわけだけれども、前原にせよ橋下にせよ(得に彼は私と同年代だ)日本の経済成長のおかげで身をなした部分があるのではないのか?
橋下などは司法修習生時代に国から給費はもらわなかったのか?
安定した足場があっての今ではないのか?
そんな自分が若者を精神論だけで何とか出来ると思っていることをおかしいと思わないのだろうか?

人間そういうものかもしれないが、人からよくしてもらったことは忘れやすいが怨はいつまでも心の奥に澱になって残るものなんだろうが、そんな人間が上に立つのはつくづく不幸だと思う。