kodebuyaの日記

労働問題が最近多くなった食レポブログです。

「維新」という言葉についてのメモ

維新の怪とは殆ど関係の無い話なのであしからず。

大阪市市長率いる維新の怪だが、国政に出るに当たり名称を
朝日新聞デジタル:新党は「日本維新の会」 大阪維新、国政進出8日に決定 - 政治としたようだ。

最近の政治家(に限らないけれども)は維新とか幕末の志士とかが大好きな人間が多いが*1、なんだかこの「維新」という言葉に違和感を感じていた。
彼らの多くは決して自分たちの行動を「革命」とはいわないが、「既得権者の打破」など大きく体制を変えていくのだといっている。維新の怪に限っていえば、将来的には「首相公選制」という、従来の(まさに明治以降の)政治体制を大きく変化させようとしている。
これって「革命」じゃないの?
そうでないとすれば彼らの言う「維新」ってそもそもどんな意味だったっけ?

とつらつら考えていたら(というほど偉そうなものではないけれど)、

靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書)

靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書)


の中に「維新」(というよりも明治「維新」)について記述があったことを思い出したので、本棚から引っ張り出し再読してみた。

以下それについてのメモ。

小島氏は「明治維新」が「明治革命」ではないのはこの事件が単なる王政復古ではなかったからだという。

「維新」の最もももとになる出典は『詩経』の大雅文王篇。「周雖旧邦、其命維新(周は旧邦といえども、その命 これ新たなり)」、現代語訳すれば「周は古い国だけれども、天命を新たに受けたのだ」。「維」は「これ」という訓読でもわかるように、何かを指す具体的な言葉ではなく、調子を整える助詞である。
(上掲書141-142頁)

ということは、改新とか改革と違って、単に新しいことを始めるのではなく、「古くからの由緒を持つ君主が天命を受けて天下を治めるようになること」を意味する。
(上掲書144頁)

という。

それでは「革命」と「維新」の違いは何か?

小島氏は同書で、「革命」とは

ここで重要なのはこの語が『易経』の「革」の卦に出てくる文言として、東アジアでは古くから知られていたという点である。
(中略)
この卦は政治の変革を象徴すると解釈された。古い支配体制が崩れ、天命が別の王家に移って新しい王朝を成立させるだろう、と。
それが「革命(命をあらたむ)」である。
(上掲書149頁)

といい、

なぜ明治「維新」であって「革命」ではないのか?という問いに対して、

徳川「大君」から京の「天子」への政権交代は、諸外国の目には王朝交替と映じていた。外国人ばかりではない。諸外国のみならず日本人の中にも東アジア古来の革命の枠組みで理解しようとする向きは強かった。
(中略)
幕末の倒幕派志士たちにとって、自分たちがしようとしている行為が政府転覆の企てであり、その意味では儒教の用語でいう革命であることは、ある程度自明のことであったろう。しかし、それを彼らはあえてそう呼ばないようにしたのである。なぜなら、彼らの主観的意図は「尊皇攘夷」だったから。
(中略)
西洋列強の東アジア進出という未曾有の事態を受けて、君民一体となって難局を打開するために江戸幕府を倒して天皇中心の政府を作ること、それが倒幕派の大義名分だった。
(中略)
それはあくまで復古であって革命ではなく
(上掲書157-158頁)

と答えていく。

それでは明治「維新」の本質とはなんだったのか?

本来あるべき正しい「国体」の回復。それが「維新」の事業(前掲書195頁)

といい、その本質は神武創業の昔に戻すことであったという。
そうしてその国体を保持する事業の中で命を落とした者を「英霊」として顕彰するのが「靖国」という装置なのだという*2

私は小島氏の意見が正しいものなのかどうか判断するほどの知識はないけれども、小島氏の主張の通り「維新」とは、体制の変革ではなく、本来の意味では神武創業の昔に戻すことがその根底にあるとすれば、言い換えるとこの事業は、かって森喜朗元総理大臣が宣った「天皇を中心とする神の国」に日本を戻す事業だとも言える。
ちなみに、かって2.26事件を首謀した青年将校らは自分たちの行動を「昭和維新」を実現するためと称して彼らの考える「君側の奸」を討伐したのであったが、それも維新の本来の姿である天皇の基に権力の一元化を図る神武創業の昔に体制を変革するためのものであったと理解することは何らおかしいことではないと言え、私には納得感のある主張であると思える。

そうなると「維新」を標榜する政治家の多くが右寄り・右翼・極右なのかがなんとなくわかるような気がするし、橋下のいう「維新」に大いに違和感を感じていた原因も*3ここにあるように思えてならない。彼らはあくまでも東アジアにおける古来からの意味でも近代的な意味でも「革命」を求めているわけではなく、復古的な(神武というわけではなく、昭和初期の意味合いにおいての)政治体制を求めているからなのだろう。

*1:そしてそんな人間の多くが碌でもなかったりするけれど

*2:むしろ同書の主題は題名通りそこにこそあるのだけれど

*3:橋下自身の胡散臭さは大いにあるとしても