橋下に屈した朝日
佐野真一は橋下徹大阪市長ののルーツを探るドキュメンタリーの連載を週刊朝日に開始したのだったが、第一回目掲載後、橋下徹の朝日新聞社および朝日出版社、大阪朝日放送への取材拒否を通告するという手段を持って抗議したのだったが、その抗議を受け、朝日出版社並びに朝日新聞は早々に「お詫び」をし、週刊朝日は当の佐野真一のドキュメンタリーの連載打ち切りを決定したのだった。
この件で私が最初に頭の中をよぎったのは「週刊SPA!」における、小林よしのりと宅八郎の一連のもめ事だった。
この件については小林の「ゴーマニズム宣言」に小林側の主張が書かれているし、宅八郎側の主張は
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オウム真理教が世間の話題をさらっていた時期に小林はオウム真理教にVXガスをかけられそうになるなどの被害を受けたこともあり、「週刊SPA!」誌上のの自身の連載漫画でオウム真理教批判を繰り返していたのだが、当時同誌に同じく連載を持っていた宅八郎が当時のオウム真理教幹部のインタビューを2週にわたり掲載したことがあった。
この掲載に頭に血を上らせた小林が宅の連載に一方的に喧嘩を売ったのだったが、これにキレた宅が小林を痛烈に批判し公開討論会の開催を持ちかけたところ、小林は一方的に当時の連載を打ち切っただけではなく、同誌の発行元である扶桑社に単行本を発行しないと圧力をかけ、その圧力に負けた扶桑社側は同誌の編集長を解任し、さらに宅の連載の打ち切り*1をおこなったというものだった。
扶桑社は資本の論理を同誌の編集権より優先させたというものだった*2
当時の編集長は「雑」誌なんだからいろいろな意見が載るのがあたりまえというスタンスだったのだが、小林の主張は「わしが一番の稼ぎ頭なんだから、わしを守るのがあたりまえ」という資本の論理で最後には同誌編集長の批判を最終回に掲載するという異常なことをおこなったのだった*3。
問題なのは、扶桑社上層部の判断であったと私は思う。
宅八郎というライターがいろんなところでトラブルを起こし、その一部始終を自分の連載で明らかにするという芸風を持つライターであることは出版業界では常識であったはずで、その人物に連載を依頼するということは扶桑社側でそのようなリスクを承知していたというべきであって、編集部もしくは扶桑社はライターの任命に責任があるというべきであったが*4、扶桑社側はそこまでの認識はなかったようだ。
そして今回の橋下の件だ。
橋下がこの手の記事に抗議をすることは当然に予想できたはずであり、その点についてあまりに認識が甘かったとしか思えない。
週刊朝日の謝罪 全身ノンフィクション作家/ウェブリブログ
によれば
太古の昔?から、メディアへの抗議は、親会社&広告主と相場が決まってました。それが一番、末端メディアにとって痛いからです。訴訟はもちろんですが、この対策をしっかりとった上で、ケンカ売るなら売らないとダメです。橋下氏は、なんといっても稀代のタカ派政治家なのですから、ケンカ売るならそれなりの覚悟が必要です。
ということなのだから。
今回の佐野真一の記事が、差別を助長するものだったかどうかは連載が一回で打ちきられてしまった以上私には判断することはできないけれども、少なくとも橋下「個人」のことだけならば、当の本人が過去の選挙戦で地区を明言していたということでもあり問題ではなかったのではないかと思われる。また「DNA」云々についても編集部側がつけた甚句であり、本文にはそのような記載はなく、打ち切りの理由には本来はならないと思われる。
しかし、佐野がこのようなタブーに踏み込みたがるライターであることは十分認識していたはずで、週刊朝日側は原稿が届いた段階で関係各部署と連携を取るべきだったし、あえて名前を出せば解放同盟に事前に記事を見せるという方法もあったろうと思う。
もしかして週間朝日側は橋下が直接週刊朝日に苦情を言うのではないか。うまくいけば橋下側の反論を掲載することが出来、雑誌の売り上げ部数が大きく上がるのではないかと甘いことを考えていたのではなかったか。
結局足下を見られた朝日側は橋下に屈するしかなかった。
そしてこの事態がマスコミに面白おかしく報道されたことで最近精彩を欠いていた橋下が生き生きしていることが極めて腹立たしい今日この頃なのだ。