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kodebuyaの日記

再分配にYES!!そして橋下にNO!!の食レポブログです。

貧乏人の経済学

富裕層と貧困層のお金の使い方の違いがユーロ危機で判明 - GIGAZINE

欧州中央銀行や国際通貨基金は、「たった1人の消費者」が存在すると仮定して最適化問題を解くことのできるモデル「代表的個人」を、経済の未来を予測することに使用してきました。しかしながら、「代表的個人」は2010年にヨーロッパ諸国が採用した財政緊縮策を予見できず、実際の人間がモデルによって予期された通りの行動をしない、ということが判明。経済学者たちは「貧困層と富裕層の人たちは緊縮策と刺激策に対して違った行動や反応を取るため、経済政策はどちらか1つではなく、双方に対応できなければならない」としています。

Economists Discover the Poor Behave Differently From the Rich - Businessweek
http://www.businessweek.com/articles/2013-11-07/economists-discover-the-poor-behave-differently-from-the-rich

欧州中央銀行や国際通貨基金が使用する代表的個人モデルは、経済学者が1970年代から1980年代にかけて提唱していた「全ての人々はお金に対して理性的で計画性をもって行動している」という意見に基にして作られました。

例えば、国際通貨基金のチーフエコノミストであるOlivier Blanchard氏は1990年に「政府が赤字を縮小するために財布のひもを締めると、世帯は『経済問題が政府によってしっかりとコントロールされている』と安心して、支出を増やすかもしれない」と記述しています。Blanchard氏が言うように、全ての人間が合理的で、予測されたモデルと同じ行動を取れば、消費者の経済政策に対する行動データなど必要ありません。

1990年代の初期ごろから「人間は1人1人違う行動をとる」という考えに基づくミクロ経済モデルについて研究し始めたPer Krusell氏とトニー・スミス氏は「当時、大学の先輩にミクロ経済モデルについて話しても、相手にされなかったでしょう」と語ります。しかしながら、Krussell氏がまとめたミクロ経済モデルについての論文は、後々プリンストン大学やイェール大学で賞を受賞。

代表的個人モデルは2010年にギリシャから派生したユーロ危機の際、「財政赤字はしだいに落ち着いていく」という予測を立てていましたが、予測通りにならず欧州諸国は財政緊縮案を受け入れることになります。実際に国際通貨基金がギリシャでの資金プログラムを見直したところ、実質の国内総生産の減少値は、代表的個人モデルが予測していたものの3倍以上。最終的にIMFは、代表的個人モデルを使った数学的な仮定が間違っていることを認める報告書を提出しています。

ジョンズ・ホプキンス大学に務めるクリストファー・キャロル氏は、2013年10月に行われた欧州中央銀行の会合でKrussell氏とスミス氏によるミクロ経済モデルを支持する内容の論文を発表。キャロル氏は「富裕層の人間は超合理的で、税金対策などを考えつつ将来に向けての計画をしっかりと立てますが、貧困層の人間は、自分たちの収入より多くのお金が必要なため、収入を得てもすぐに消費してしまうのです」と富裕層と貧困層のお金の使い方の違いについて説明しました。

「富裕層と貧困層ではお金の使い方や行動が違う」という理論に基づくKrussell氏とスミス氏の論文は10数年間脚光を浴びることがありませんでしたが、Krussell氏には次の欧州中央銀行の会合でのスピーチの依頼がくるほどで、いまだにユーロ危機の影響を受けているヨーロッパ諸国の経済問題を新しい角度から分析できる方法になるかもしれない、と注目を集めているとのことです。

この記事の

「富裕層の人間は超合理的で、税金対策などを考えつつ将来に向けての計画をしっかりと立てますが、貧困層の人間は、自分たちの収入より多くのお金が必要なため、収入を得てもすぐに消費してしまうのです」

を読んで、以前読んだ

貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える

貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える

を思い出した。

この本のアマゾンのレビューの紹介する
Amazon.co.jp: カスタマーレビュー: 貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える

飢餓
我々のイメージでは「貧しい人々は飢えている」ので、ともかくお腹の膨れる食べ物をたくさん与えようと考えがちである。
しかし、貧しい人々は、実際には資金援助を受けても「たくさんのカロリーの高い食糧」よりも「ちょっとの美味しい食品」を選ぶ。
それは「貧しい農村では、嗜好品ぐらいしか人生の楽しみが存在しない」という境遇にも大きく依っている。
単に「美味しくなくとも大量の食糧」を貧しい人々には与えればいい、という発想ではいかない。

健康
貧困地帯では多くの子供が下痢で命を落としており、それは極めて安価な塩素剤で予防可能である。
にもかかわらず、この類の予防措置(他には予防接種、蚊帳の設置等)はなかなか広まらない。
一つには、病院はあまり信用できない(欠勤が多い、態度が悪い等)上に、医療の効能が理解できる高校生物程度の知識さえ、貧困地域では欠けていることがほとんどだからだ。
そのため、信仰されている呪術的な医療が未だに根強く支持されていたりする。
しかし、先進国ではそもそも選択する必要すらなく与えられている安全(予防接種は国に義務付けられている等々)を、貧しい国ではすべて自分の選択で選ばねばならないのだから、安楽椅子から貧困国の人々の選択の誤りを嘲笑うべきではない。

という部分に大変納得したのだった。

貧困者はそれ相当の理由で彼等なりの「合理的」な選択をしているということだ。
刹那的な、不合理な選択に思えるのは我々がそれなりに、そのようなことを悩まなくてもいい社会に住んでいるからにすぎないからだと思った次第だし、この「合理的ではない」という批判は、以前問題になった小野市における生活保護の問題代表される
生活保護受給者がパチンコやっている」
生活保護受給者が酒を飲んでいる」
という批判と通底するように思えた次第。