kodebuyaの日記

労働問題が最近多くなった食レポブログです。

【再読】松本健一 「日本の失敗」---「第二の開国」と「大東亜戦争」

最近再読している本。

日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」 (岩波現代文庫)

日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」 (岩波現代文庫)

さて、満州事変が勃発したとき、ジャーナリズムはこの昭和六年=一九三一*1を語呂合わせで「いくさのはじめ」とよび、盛んに交戦気分をあおった(昭和九、十、十一年になると、一九三四、五、六年をもじって「いくさのしごろ」などとはやしたてた)。
戦後になると誰もが口をぬぐってしまったが、ジャーナリズムが満州事変を「いくさのはじめ」といって交戦気分をあおったとき、これを咎めたてるものはほとんどいなかった。唯一、大本教出口王仁三郎(でぐちわにざぶろう)のみが、なんで日本人が西暦などで語呂合わせをするのか、皇紀天皇紀元)でいえばいいじゃないかと、昭和六年=皇紀二五九一*2を「じごくのはじめ」と語呂合わせでよんだだけである。
(同書139-140頁)

同書に寄ればマスコミも戦争を煽ったということだが、当時の戦争観を考える必要があるだろう。
台湾征伐から始まり、日清・日露・第一次世界大戦とそれに伴うシベリア出兵にいたるまで、これらはいずれも日本が外国を舞台に起こした戦いであって、少なくとも日本本土においては戦争はその悲惨さというよりも勇壮さが強調されたのであった。
一方ヨーロッパにおいては第一次世界大戦までの戦争観はその当初こそ「クリスマスまでには帰れる」という言葉が象徴するように、ロマンティックかつヒロイックなものであったが、第一次世界大戦が進むにつれ大量虐殺兵器の完成と総力戦という未だかって経験したこともないような事態を招くに至った。このことの反省から、戦後「不戦条約」を締結し(その実効性があったかどうかはともかくも)国際問題の解決手段としての戦争を放棄することを選択したのであった。もちろんナチスドイツの暴走を止める手段としてはむしろ悪用されてしまったと評価することもできるとは思うが、それはナチスドイツの無法性を読み切ることができなかったが故の事態であり、当時のイギリス首相チェンバレンの政治的決断の要素の大きな一つになったであろうことは否定できない。

一方、日本政府は第一次世界大戦戦勝国としてそして国際協調路線の下この不戦条約を批准したのであったが、己のことではなく所詮外国の話でありこの条約の意義を国民として理解できず、旧態依然の戦争観から諸外国の満州事変に始まる一連の行動への批判に反発し、マスコミのみならず国民も戦争に熱狂するような状態に陥ってしまったのではなかったか。まさに同書の指摘する「精神の鎖国状態」だ。そして同書は、満州事変以降の戦争は「攘夷」運動なのであって、運動の結果としての第2の開国が「敗戦」だったと指摘している。そして敗者として日本は不戦条約と大西洋憲章の理念を受入れ、その結果が憲法9条に反映したと指摘している。*3

従軍慰安婦を巡る一連の問題で、岸田外務大臣は「発進力を強化する」と発言したわけだが、
Yahoo!ニュース - 慰安婦、対外発信強化=政府答弁書 (時事通信)諸外国が問題としているのは女性の人権侵害が吉田証言以外に於いても軍主導の下おこなわれた点なのであって、吉田証言という誤報があったという一点をもって突破できるようなことでは無いと思うのだが、安倍晋三以下内向きの情報発信に熱心な人々はそのようなことは気にならないようだ。戦後70年近くたち、戦争の被害者*4も少なくなり、戦争を知らない世代が日本を指導しているわけだが、彼等の戦争観が薄っぺらいことはかって本ブログでも指摘したのだが*5、精神的に鎖国状態に陥った指導者が薄っぺらいヒロイズムに酔っているとしたらと考えただけでも恐ろしく思う次第。

*1:原文は傍点

*2:原文は傍点

*3:同書159-164頁

*4:日本の反戦運動は加害者としての視点を欠くという批判はあるが、それでもこれ以上の被害者を作らないという活動があっても良いとは思う

*5:安倍晋三戦後最悪の式辞を述べる。 - kodebuyaの日記