kodebuyaの日記

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教育勅語と美しい国

森友学園への国有地二束三文売却事件を発端とする一連の問題の中では「教育勅語」の是非が議論になった。
教育勅語」の是非については稲田朋美防衛大臣

国会の中で教育勅語について随時質問され、お答えしてきたのは、「父母ニ孝ニ(親に孝養を尽くしましょう)、兄弟ニ友ニ(兄弟・姉妹は仲良くしましょう)、夫婦相和シ(夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)、朋友相信シ(友だちはお互いに信じ合いましょう)」など、今日でも通用する普遍的な内容を含んでいるということを答弁してきた所でございます。

と「今日でも通用する普遍的な内容」を含むと肯定的にとらえ、また、人気芸人バラエティ番組の中で「教育勅語のどこが悪い」と言い放ったということだ*1
この点については様々な方が批判をしており、私ごときが付け加えることは何もないが、もう一つの問題である子ども達にこのようなことを刷り込みをすることが良いことなのかどうかについての議論がなかったのは残念であった。

安倍晋三一派の目指す「美しい国」の時代の教育勅語はどういう扱いだったのか?
この手の問題になると常に引用する

日本が「神の国」だった時代―国民学校の教科書をよむ (岩波新書)

日本が「神の国」だった時代―国民学校の教科書をよむ (岩波新書)

ではこういう。

国民学校令が示した「皇国の道」は教育勅語の理念である。
(中略)
少なくとも勅語が朗読される十分前後の間は、両手をぴたっと脇につけ首をさげる恭順の姿勢のままで、私語はおろか鼻をかむことも許されない。
耳で聞いて理解するのには、はなはだ難解な文章であるが、繰り返しの効果によって、二年生になるころには「チンオモウニ ワガコウソコウソ」「ナンジシンミン フボコウニ」「メイジ二十三年十月三十日ギョメイギョジ」などは、門前の小僧式に覚え込んでしまう。
(中略)
しかし国民学校では、教育勅語は、最終学年の「大御心の奉体」で一通りの意味の解釈が施されるまでは、教師と生徒がともに仰ぎ、ともに奉体すべき教材-ただひたすらに経文を読むように暗唱することによって、信条として体に刷り込むべき「非教材」だったのである。(同書141-142頁)

そしてその教育勅語が求めたものはなんだったかというと結局は天皇を頂点とする国体を守るために命を捧げよというものであった。
そしてなぜそんなことをしなければならないのかという疑問については正面から答えず「あなたのおじいいさんもひいおじいさんもそのもっと前の先祖もずっと天皇の家来だったから」という感情論でかわす。これが「美しい国」の教育だった。

「じゃ、教育勅語のそこの部分以外はどうなんだ。家族仲良くしなくていいのか?勉強に励まなくていいのか?などという千葉麗子みたいなおっちょこちょいが湧き出すので*2いっておくと、これらの項目は別に上から勅語ということで押しつけられる筋合いではないという一言で十分だろう。また彼等が考える「教育勅語の元で生活していた美しい国」では残りの項目が具現化されていたのか?部落差別や女性蔑視は今よりもマシだったとでもいえるのか?阪神・淡路大震災東日本大震災・熊本大震災では関東大震災で起こった朝鮮人虐殺のような事件は起きなかったがそれはどうしてなのか?と言っておきたい。