kodebuyaの日記

労働問題が最近多くなった食レポブログです。

切り捨てることで成り立つ大阪府の教育指導

d.hatena.ne.jp

を読んで思ったこと。

この件は、学校側と企業側と(消極的には)学生側との利害関係が一致し成り立ってきた構図がその構図にどうしても組み込まれることを潔としなかった生徒が声を上げてきたことで可視化されたことなのではないかと思う。

労働者の容姿に企業側がどこまで介入できるかについては、地裁レベルではあるが、このような判決がある。

労働者の服装や髪型等の身だしなみは、労働者個人が自己の外観をいかに表現するかという労働者の個人的自由に属する事柄であり、また、髪型やひげに関する服務中の規律は、勤務関係又は労働契約の拘束を離れた私生活にも及び得るものであるから、そのような服務規律は、事業遂行上の必要性が認められ、その具体的な制限の内容が、労働者の利益や自由を過度に侵害しない合理的な内容の限度で拘束力 を認められるというべきである。
郵便事業事件 神戸地判平成 22.3.26 事件番号:平成 21 年(ワ)149 号

髪型やひげという自分の意思で*1表現することができるものでさえ「合理的な内容の限度」でしか拘束できない。これが「生まれながら」や「本人の責めに帰すことができない後天的な事由」での場合であれば、ますます拘束力は認められないという方向に向かうと思われる。

企業側とすれば従業員はその支配下に入れたいということになるのだろうから、きちんとそのような社員に相対するという手間も時間も場合によっては訴訟リスクも抱えるなんてことよりも、早い段階でそのような人間を入社させない、排除するという方向に向かうだろうし、可能であるならば、教育機関があらかじめそのようなことを起こさない人間を作り出してくれているのであればますますありがたいし、そのような教育機関出身の人間を積極的に採用していきたいと思うだろう。

学校側としても、就職率が高いということは何よりも優る宣伝材料であり、しかも脅すだけで効果が出るというのだからこんなに効率の良い方法はないということなのだろう。
そして学生達も髪の色「だけ」異常に厳しいことだけなのだし、少なくとも多くの学生は髪の色を諦めさえいれば就職も見込めるということなのだから、全てがwin-winの関係になりめでたしめでたしのはずなのだ。

だから大阪府側(というより学校側の意向なのだろう)は争う姿勢を見せた。
そうしなければ大阪府の教育カイカクの嵐の中で生き延びる方法がなくなってしまう危険性があるからだということなのだろう。生まれながらだろうがなんだろうが全て学校の指導を強制するというやり方に正当性があるという姿勢をとり続けなければ全てが崩壊するという恐怖心がこのような学校側の強硬な姿勢を取らせた要因なのではないか。

新自由主義の根本は自己責任ということだが、究極には「生まれてきたことも自己責任」まで行き着いてしまう。大阪府下の教育はそこまでいってしまっているのではないかといわざるを得ない。

*1:もちろん事情によりどうすることもできない場合もあるけど