kodebuyaの日記

労働問題が最近多くなった食レポブログです。

教育勅語と美しい国

森友学園への国有地二束三文売却事件を発端とする一連の問題の中では「教育勅語」の是非が議論になった。
教育勅語」の是非については稲田朋美防衛大臣

国会の中で教育勅語について随時質問され、お答えしてきたのは、「父母ニ孝ニ(親に孝養を尽くしましょう)、兄弟ニ友ニ(兄弟・姉妹は仲良くしましょう)、夫婦相和シ(夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)、朋友相信シ(友だちはお互いに信じ合いましょう)」など、今日でも通用する普遍的な内容を含んでいるということを答弁してきた所でございます。

と「今日でも通用する普遍的な内容」を含むと肯定的にとらえ、また、人気芸人バラエティ番組の中で「教育勅語のどこが悪い」と言い放ったということだ*1
この点については様々な方が批判をしており、私ごときが付け加えることは何もないが、もう一つの問題である子ども達にこのようなことを刷り込みをすることが良いことなのかどうかについての議論がなかったのは残念であった。

安倍晋三一派の目指す「美しい国」の時代の教育勅語はどういう扱いだったのか?
この手の問題になると常に引用する

日本が「神の国」だった時代―国民学校の教科書をよむ (岩波新書)

日本が「神の国」だった時代―国民学校の教科書をよむ (岩波新書)

ではこういう。

国民学校令が示した「皇国の道」は教育勅語の理念である。
(中略)
少なくとも勅語が朗読される十分前後の間は、両手をぴたっと脇につけ首をさげる恭順の姿勢のままで、私語はおろか鼻をかむことも許されない。
耳で聞いて理解するのには、はなはだ難解な文章であるが、繰り返しの効果によって、二年生になるころには「チンオモウニ ワガコウソコウソ」「ナンジシンミン フボコウニ」「メイジ二十三年十月三十日ギョメイギョジ」などは、門前の小僧式に覚え込んでしまう。
(中略)
しかし国民学校では、教育勅語は、最終学年の「大御心の奉体」で一通りの意味の解釈が施されるまでは、教師と生徒がともに仰ぎ、ともに奉体すべき教材-ただひたすらに経文を読むように暗唱することによって、信条として体に刷り込むべき「非教材」だったのである。(同書141-142頁)

そしてその教育勅語が求めたものはなんだったかというと結局は天皇を頂点とする国体を守るために命を捧げよというものであった。
そしてなぜそんなことをしなければならないのかという疑問については正面から答えず「あなたのおじいいさんもひいおじいさんもそのもっと前の先祖もずっと天皇の家来だったから」という感情論でかわす。これが「美しい国」の教育だった。

「じゃ、教育勅語のそこの部分以外はどうなんだ。家族仲良くしなくていいのか?勉強に励まなくていいのか?などという千葉麗子みたいなおっちょこちょいが湧き出すので*2いっておくと、これらの項目は別に上から勅語ということで押しつけられる筋合いではないという一言で十分だろう。また彼等が考える「教育勅語の元で生活していた美しい国」では残りの項目が具現化されていたのか?部落差別や女性蔑視は今よりもマシだったとでもいえるのか?阪神・淡路大震災東日本大震災・熊本大震災では関東大震災で起こった朝鮮人虐殺のような事件は起きなかったがそれはどうしてなのか?と言っておきたい。

コンビニのブラック問題はコンビニ本部の問題だ

「そこまでして人手不足に拍車をかけたいのか」と思わせるような記事が今月は相次いだ。
http://mainichi.jp/articles/20170131/ddm/041/020/112000c

親会社セブン&アイ・ホールディングスの広報センターなどによると、女子生徒は1月後半に風邪のため2日間(計10時間)欠勤した。26日にアルバイト代を受け取った際、給与明細には25時間分の2万3375円が記載されていたが、15時間分の現金しか入っていなかった。手書きで「ペナルティ」「9350円」と書かれた付箋が、明細に貼られていた。

 店側は「休む代わりに働く人を探さなかったペナルティー」として、休んだ10時間分の9350円を差し引いたと保護者に説明したという。

 広報センターの担当者は毎日新聞の取材に「加盟店の法令に対する認識不足で申し訳ない」と話した。「労働者に対して減給の制裁を定める場合、減給は1回の額が平均賃金の1日分の半額を超え、総額が賃金総額の10分の1を超えてはならない」と定めた労基法91条(制裁規定の制限)に違反すると判断したという。

労働者の病気は制裁の対象になるのか?

労基法上確かに「減給の制裁を」することは、事業主の権利であり組織の規律という点からもそれを否定することはできない。
しかしその制裁の原因となる行為は組織の維持のためなら何でも許されるというものではないというべきだ。なぜなら誰しもが望まなくとも罹患する可能性のある風邪・インフルエンザ・事故などによる怪我による人員不測の可能性は事業主が当然にリスクとして予防する義務があるというべきだからだ*1
セブンイレブン本部側は労基法91条違反を問題としているが、そもそもこの件は制裁規定に当てはめていいのかという点が問題なのであって、セブンイレブン本部側の認識に大いに疑問を持たざるを得ない。
欠勤を懲罰対象とするにしても、そのためには就業規則やそれに類したものを店側が作っていたのか?作っていたとしてこのような欠勤を懲罰にできる規定があったのか?その規則は従業員に周知されていたのか?という点をクリアしていなければならないはずである。
まずもってこのような規定を店が置いているということが想定できないためこの点において懲罰そのものが無効であるとしてセブンイレブン本部は店側を指導すべきではなかったのかと言わざるを得ない。

労働者は欠勤することでペナルティを受けている。

月給者についてだが、日本のおそらく殆どの事業所では完全月給制ではなく日給月給制を採用している。日給月給制とは遅刻、早退、欠勤などをした場合は、その会社の規定に基づき給与から相当額が控除されるという制度であり、「ノーワークノーペイ」の原則にのっとったものであるとはいえその比較としての「完全月給制」からすれば実際には欠勤に対する懲罰的な意味合いは否定できないだろう*2
時給者はもっとシンプルだ。働いた時間に対して所定の賃金が支払われる。働かなければ支払いはない。
件の高校生の給与は記事によれば時給のようだが、自分の意思ではない事由であった欠勤にせよ既にペナルティは受けているのであり更なる懲罰は刑法で言えば「二重懲罰の禁止」というものであるといえる。
もし何が何でも懲罰をしたいということであったのであればその欠勤は有給扱いとして給与を欠勤分まで支給したうえで懲罰するということになるはずであり*3、そんな非合理的なやり方はないというべきだろう。

いくら休んでも労働者を罰することはできないのは事業主にとって不利だという主張

もちろん、ちゃんとした理由もなく*4欠勤を繰り返している労働者を罰したいというのであればきちんと就業規則等を整備すればよいのであって、その手間を惜しんで恣意的に罰したいという権利を持ちたいというのはむしろ事業主にとって甘すぎる考え方と言わざるを得ない。
事業主は労働者を雇用することでビジネスチャンスを喪失せずに済んでいる。この考え方を逆さにすれば労働者の一方的な労働の不提供で事業主はビジネスちゃすを失ったと言っていいものなのだろうかといえば、
「それを見越して事業計画をするのが事業主の仕事」
というしかない。
以前も記事にしたようにこれは経営の問題であって正当な理由のある限り労働者の問題ではない。
だから
セブンイレブンの”新たな”罰金問題が発覚!!「1時間遅刻するごとに6000円の罰金」⇒まだ懲りてないのか!!! | BrandNewS

ことはある意味事業主の無能ぶりを証明しているようなものであり、事態が
【ブラックバイト】「辞めたい」→「殴打、首絞められた」 しゃぶしゃぶ温野菜の元バイト大学生 - 産経ニュース
になり心も体も文字通り傷を受けないうちに退職し、労働基準監督署に駆け込むようにと言っておきたい。

人手不足のはずなのになんでこんな人手不足に拍車をかけることが起こるのか?

コンビニ業界も多分に漏れず人手不足なわけだが、その一つには365日24時間営業というビジネスモデルが当然に人手の確保を前提としているのであって若手が減少していく中でこのモデルを維持するのは難しいということもある。
そして最大の原因と思われるのは「本部が損をすることがない」といわれるフランチャイズ制度にあると思う。
先日恵方巻の廃棄の件でこのような報道がなされた
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170202/k10010862671000.html

機会ロスを恐れ、多く発注してしまい売れ残り廃棄ということなのだが、経済の合理性を考えれば廃棄ロスは損失なので避けるはずなところコンビニ本部は廃棄が出ようが何だろうが、損失は出ず、廃棄ロスはコンビニ店が負う仕組みなのでロスは当然に出るということでそれを恐れるコンビニ店側が「ノルマ」としてアルバイトに購入を「お勧め」しているということだ。
そしてこれは、恵方巻に限らずバレンタイン・ホワイトデー・クリスマスケーキなど本部の企画するもののすべてが対象となるのであった。
ノルマのきつさから下に無理をさせるという点では、フランチャイズ側とフランチャイジー側の関係で成り立っており、それがそのまま事業主(店のオーナー)と労働者の関係に引き継がれてしまっている。ここがコンビニ業界をブラック化している元凶なのだと思う。

*1:休業手当については天変地異など予測不可能な場合の事業所閉鎖には支払いの義務を免除されるが、単なる資金繰り悪化による事業所閉鎖では休業手当の支払い義務は免れないとされている

*2:少なくとも無断欠勤の抑止力になりうるという意味で

*3:もちろん必要な就業規則もしくはそれに類するものが作成されており周知されていることが大前提であるとして

*4:誰が聞いても「そりゃあんたが悪い」といえる程度の理由

そりゃ炎上商法の上野千鶴子(と東京新聞)が悪いけどさぁ

確かに上野千鶴子社会保障に詳しいかと言われれば、かってこのような批判を受けたくらいなのだからそうではないんだろうと思う。
eulabourlaw.cocolog-nifty.com

実際id:kojitaken氏も批判している通り、この題名のつけ方はあまりにも恣意的だと言わざるを得ない。東京新聞の「衣の下に鎧が見える」案件であり、流石長谷川某を副主幹にいつまでも飼っている新聞社の所以だなと思わざるを得ない。
とはいえここまでの反応はいかがなものか
migrants.jp

私の上野の文章を読んだ感想だが、これは

・移民受け入れにより「社会的不公正と抑圧」が増大するのではありません。日本に存在する社会的不公正と抑圧が、移民に集中的にのしかかる可能性はありますが、これは移民を受け入れた結果ではなく因果関係が転倒しています。上野氏は、女性が増えたら、性的マイノリティが増えたら社会的不公正と抑圧が増大するからよくないといわれるのでしょうか。

・治安悪化は、日本において特に頻繁に語られる移民への謬見です。実際には、日本で移民人口が増えたことによる治安悪化はまったく起こっていません。「治安悪化」というデマは、1990年代後半に警察とメディアが広めたもので、上野氏もそれを信じ込んでいるようです。今回の発言は、自らそうしたデマを広めていますが、それについてどうお考えでしょうか。

という反応を一般人が持っているのではないかという疑念を言ったものではないのか。実際「日本に存在する社会的不公正と抑圧が、移民に集中的にのしかかる可能性はあり」と認めているわけだし。次もそうだ。

・2008年に国会の衆議院及び参議院において「アイヌ民族先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択され、日本が「単一民族」であることは公式に否定されましたが、「単一民族神話が信じられてきた」というのはどのような根拠にもとづいているのでしょうか。またこの発言こそが、「単一民族神話」を再生産していますが、その点についてはどのようにお考えでしょうか。

・現在日本には230万人を超える外国人移住者が暮らし、先住民や外国にルーツをもつ日本国籍者を含めると、民族的マイノリティはそれ以上になります。「日本は『ニッポン・オンリー』の国」というのは、どのような根拠にもとづいた発言でしょうか。

・このような、外国人移住者の増加や民族的マイノリティの存在の認知を背景に、各地で多文化共生の取り組みがすすめられてきました。2006年には総務省も「地域における多文化共生推進プラン」を策定しています。こうした取り組みには、民族的マイノリティ当事者のみならず「日本人」も多く関わっています。「日本人は多文化共生に耐えられないでしょう」というのは、いかなる根拠にもとづいてなされた発言でしょうか。


単一民族ではないのは当然としても厳然として在日朝鮮人差別やアイヌ*1・沖縄差別を「見て見ぬふり」するメジャーな国民がこれ以上の多文化に耐えられるとはとても私も思えない。
すくなくとも桜井誠やら竹田某やらをのさばらせている国民が「多文化共生」を本当に推進しているとはとても思えない。
多民族国家」であるはずのアメリカ合衆国でさえ排他主義者が推すトランプが大統領になりうる状況なんだから。
いやもちろんアメリカだって公民権運動以降も差別はあった。ただすくなくとも良識人は差別をなくそうとはしていた。
日本ではどうか?「三国人」発言をするレイシストが何度も首都の首長を務めることができるのだ。根拠は無限にあると残念だが言わざるを得ない。

上野の今回のインタビューは確かに言葉足らずであり*2、そもそも社会保障に根本的な理解が欠けているかもしれないという疑念が拭えない以上、批判されてしかるべきではあるが、インタビューにある再分配の強化はもっと議論されるべきだと思うし、上野の発言が仮にそれを意図したものだったとすればもう少し言いようがあったのではないかと私は思う。

*1:この本来は「人間」を意味する言葉を彼らが使いたがらないということもあるではないか

*2:東京新聞の編集の可能性もあるとみているが

解雇の金銭解決がブラック企業の撲滅対策になるとは(呆)

こちらの記事。
zasshi.news.yahoo.co.jp

事例:Aさん、Bさん、Cさんは、いずれも違法な解雇であるブラック「クビ」にあった。その理由は、深夜にわたるプロジェクトの打ち合わせに残業代が出ないことを指摘したら、「トランプショックもあるし、リーマンショックのように今後の情勢は不透明だ。なのに、お前は権利ばかり主張して仕事への積極的な姿勢がない!  もう明日から来なくていい!」という意味不明なものだった。もし、解雇の際に金銭がもらえる制度があったらどうなるのだろう? 

という事例に対し、結論として「金銭賠償をしてあればいいんじゃね。労働者も退職に納得いくので双方がwin-winになるよね。」ということだった。

そもそもそんな制度は日本にはないのか?

よくよく考えれば、多くの大企業は「早期退職プログラム」だの、「転職支援プログラム」などを既に用意しており*1、また、中小企業でも体力がある場合には「退職勧奨」の退職条件の中に「退職金の上乗せ」ということを既にしているのであった。
「退職勧奨」そのものは法律用語でも何でもなく、その性質は「退職契約」といえるものであり、それ故労働者は「契約に合意するかどうかの自己決定権」を有することができるのであったが、この説を採用すると、事業主が所定の金銭要件を満たせば有無も言わず解雇できるということになる。
退職勧奨プログラムのような制度のない会社では、金銭的補償のないままの退職では労働者にとって残るという選択が合理的にはなるが、今後の職場との関係がおかしくなるのはほぼ間違いなく、残るも辞めるも茨の道ということになりかねず、そういう意味では金銭賠償を義務づけるこの制度なら退職の選択は十分合理的な判断といえるだろう。また、事業主にとってもそれだけの金銭を支払ってでも追い出すべき人材なのかという検討を余儀なくされるだろうというのは一応の理はあるだろう。

実際の効果は?

とはいえ、退職金で賠償できる体力のある企業であればそのとおりだろうが、そうではない企業であれば会社側の都合の退職という選択肢を実質的に奪われることになり、場合によっては任意退職を厳しく勧めるということが起こりかねないのではないか。
また、ブラック企業と言えば退職強要だけではなくブラックバイトに代表される退職させないなど人身拘束もあるのであって、筆者の言う「ブラック企業の撲滅」の決め手になるとはとても思えない。売らんが為の題名なのであろうが、羊頭狗肉の感を拭えない。

*1:だからこそ「肩たたき部屋」なるものや、退職強要マニュアルなどが問題になったのであった

皇軍兵士の日常生活

最近読んだ本から

皇軍兵士の日常生活 (講談社現代新書)

皇軍兵士の日常生活 (講談社現代新書)

公助は恥辱が美しい国の伝統

「出征兵士の家族の中には、軍事扶助を受けることを恥ずかしいことだと考えて生活に困窮しながらも願い出ないものがあ」るが、「このような人々には軍事扶助を受けることが決して恥辱ではない、国家が当然しなければならぬこととして行う扶助であるから、そのために選挙権を失うようなこともないと説明して進んで受けるようにすべきである」(同書117頁)

とある。
日本の徴兵制は家族制度を前提にしなければならなかったこともあり、戸主・長男は比較的徴収されにくかったようだが、それでも一家の大黒柱を突然徴収されると生活が成り立たなく事もあるので、国は制度として生活扶助を行っていた。
とはいえ、生活扶助*1を受けることに対する偏見は酷かったようで、わざわざ当時の衆議院議員松本治一郎はこのようなパンフレットを作り、地元で配布していたとのことだ。
同書に寄れば、地方によっては所謂「水際作戦」も行われていた模様であり*2、問題となっている生活保護の「水際作戦」は美しい日本の伝統芸なのだなと思わされた。

実際軍の側からも

「軍事扶助という制度はありますが、是は日本の国民性の関係上から、石に齧りついてでも軍事扶助は受けないという、非常に美しい思想から、大変困っても之を受けないという状況にある。」(同書138頁 太字は引用者)

といみじくも本音が露呈されている。
「お上を忖度しひたすら耐え続ける」都合の良い国民が「美しい国」の住民になる資格を得ることができるのは、今も昔も変わらないらしい。

戦争は格差を是正するのか?

貧困層はそれでも救済制度があるが、自営業者、一次産業など貧困とはいえない状況にあるものはこのような扶助制度はなく、税金の減免制度が検討された程度であったようだ。
また、サラリーマンにいたっては日中戦争勃発当初は「すぐにでも終戦するだろう」という見込の元、(体力のある)企業は給与の3分の2程度を徴兵後も支給していたようだが、それはホワイトカラーに対してであり、ブルーカラーの者は給与の半分程度しか支給されていなかったようである。
戦争が長引くにつれ、企業はその負担額を減らしたいと国に対して言い出すのだが、これは失われた20年の間に「企業の足腰を強くするため」と称して各種手当てが削減されていった様子と被って見える。
それはさておくとしても、当時の社会的格差は戦争が始まっても解消される方向にはなく、その不平不満がそのまま軍隊の中に蔓延っていたのが我らが「皇軍」の本質だったといえるだろう。

丸山真男をひっぱたく

軍隊はその理不尽性を強要するために徹底的に差別をしなければならないという性質がある。だから、徴兵した新兵すら学歴等で昇進に差をつけていった。日本社会の当時の序列を無視した状態で軍隊という集団は維持できないのだろう。なぜなら彼等は(一応)数年後には除隊していくのだから、除隊後に戻る社会の秩序に合わないということになると社会のリスクになりかねないということがあるからだろう。
赤木智弘は「丸山真男をひっぱたきたい。希望は戦争」といったが、確かに丸山真男をひっぱたくことはできたかもしれないがその可能性は殆どなかった*3。それが日本の軍隊の本質だった。
彼が望むような上の者を引きずり下ろすような制度は軍隊にはなかった。

同書については機会があれば改めて紹介したい。

*1:所謂生活保護制度は存在していたが、一方でそれは選挙権を剥奪されるなど恥辱的なものであったらしい。片山さつきあたりは随喜の涙を流して喜びそうだ

*2:同書118頁

*3:勿論赤木のこの言葉はレトリックだが

労働時間の削減に成果主義は解決策になり得るのか

電通の女子社員が自殺したことが労災認定された点については、何よりも故人のご冥福をお祈りする。
その上で、「月100時間を超える残業、パワハラ」が電通に限った問題なのか*1、それともこの業界特有の問題なのか*2という問題はあるにせよ、相も変わらずネットの世界では、
「辞めることをしなかったのは自己責任だ」
とか、
「高給貰ってるんだろ?」
とか、
「たかだか100時間ぐらいの残業で自殺する方がおかしい。俺の若い頃はだなぁ(略)」
甚だしきは
「クリスマスに自殺なんて」
という意見が散見されていて胸糞悪くなったのであった。
特に
「たかだか100時間ぐらいの残業で自殺する方がおかしい。俺の若い頃はだなぁ(略)」
という意見はおじさま達に受けがいいらしく長谷川秀夫という武蔵野大学の教授は自身のfacebook

月当たり残業時間が100時間を超えたくらいで過労死するのは情けない。(中略)プロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。(中略)また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき。

などとご高説を述べたので、当然炎上し、記事を削除して謝罪するハメに陥ったのであった。
www.huffingtonpost.jp
そもそも入社1年程度の人がどれだけ説得すれば「良い成果を出せるように人的資源」を獲得できるか見当も付かないし、それこそプレゼンをするためのプレゼンをする話になりかねず、「そんなことに消耗するくらいなら今回の案件をさっさと片付けてそれから組織の問題に切り込もう」として自分を納得させるのが関の山ではないだろうか。
ましてや今回の事件はセクハラも絡んでいる模様であり*3相談や提案が可能な状況だったのかという点に疑問符をつけざるを得ない。

その上、月100時間以上の残業に加え土日関係なく勤務の日々という状況でどうすれば「長期的に自分への投資」ができるというのか。ぜひ件の教授におかれましてはご自身の講義の中で武蔵野大学の学生さん達にそういったノウハウを伝授してあげてほしいと思う次第だ。
とはいえ、この手の反応は決して珍しいものではなく、数年前も
news.livedoor.comでも同様の「叱咤激励」*4があった。

成果主義は解決策たり得るのか?

president.jp
では、出席者の面々が日本の労働が「時間拘束主義」から「成果主義」に変わるべきだと主張するのだが、じゃその「成果」って何よ?と思ってしまう。
主席者の一人であるカルビー会長はこういう。

私は残業手当を払うことなんてまったく惜しくありません。しかし仮に、残業手当を一切合切払わないという制度にしたら、みんな残業なんかしなくなると思います。制度とか仕組みが悪いと、人間は残業代欲しさに働くという悪しき習慣になるんです。
(太字引用者)

そう、その残業手当を一切払わないが働いている状態が日本の伝統芸「サービス残業」というやつなのではないのか?
もちろん、会社のデスクでなければ仕事ができないとはいわないが、どれだけ残業代を支払わないという制度にしたとしても、「成果」を出すためやむを得ず会社に残り、若しくは休日出勤して会社の資料にアクセスする状態が現れることは明らかだろう。会社の評価基準として「限られた時間内に」「成果を出す」を明確にできる業種・職種がどれくらいあるというのだろう*5

サービスの対価を堂々と求め、それを従業員に分配せよ

日本の第三次産業は生産性が低いのだという。
それは、長時間労働が原因だということであり、全くその通りなのだが、それを求めるクライアント側と「かかった手間暇の料金は頂戴しません」とする態度がクライアントへの誠意と考えるサービス提供側との共犯関係なのではないかと思う。
「クライアント様」側にすれば1円でも値切りたい、もしくは同じ金額ならよりよいサービスを受けたいと考えるのは当然のこと。ここでサービス提供側が応じてしまうから本来であれば(お互いに)不必要と思われるサービスが付加され、それを付加するために現場が疲弊していくという事態になっているので労働生産性が低くなっているというべきなのではないか。

残業の中には「生活残業」があることは認めるが、「生活残業」をしなければならないほどの給料しか支給されていないという実情もあり、この点を改善させなければ「成果主義」という制度は「低額働かせ放題」になりかねない。きちんと労働に対する対価を請求し、その収益を還元させることで、従業員の負担を何らかの形でクライアントに転嫁させるのが当然という社会にならない限り、いつまでもこの国では「過労死」がなくならないと主張しておきたい。

*1:電通事件 最二小判平12.3.24 民集54-3-1155、労判779-13

*2:電通新入社員が自殺 広告業界に蔓延するクソ長時間労働の根深い実態を書いておく : おはよウサギ!

*3:被害者のtweetでは「私の仕事や名前には価値がないのに、若い女の子だから手伝ってもらえた仕事。聞いてもらえた悩み。許してもらえたミス。程度の差はあれど、見返りを要求されるのは避けて通れないんだと知る。」「男性上司から女子力がないだのなんだのと言われるの、笑いを取るためのいじりだとしても我慢の限界である。おじさんが禿げても男子力がないと言われないのずるいよね。鬱だ〜。」という記述があり、何らかのセクハラ行為がなされていたと推測される 電通過労死の「1日20時間労働」「性的見返り」など生々しい実態→大学教授「残業100時間くらいで死んでしまうとは情けない」 - Togetterまとめ

*4:さすがの産経新聞も非難とは書けなかったらしい

*5:強いていえばサラ金の取り立てくらいか

成功した俺は救われる価値のある人間byブラマヨ吉田

フリーアナウンサーの長谷川坊じゃなかった長谷川某の暴言であるが、理事をしている団体からは梯子を外され、持っていたテレビレギュラーもいくつか降板する羽目になるなど、きっちり自分の発言に責任を取らされる羽目になっている。自己責任教の信者である同人にとっては望ましい決着になりそうでありご同慶の至りである。
同人の暴言(とても議論といえるものではないが)は、それ以外にも引用のルール違反というジャーナリストとしてのマナーもなっていないことも隠し味になっており、流石炎上芸人というべきものだったが、そんな中同人を擁護してプチ炎上しつつある芸人がいる。
togetter.com

一連のツィートは流石「ボケ」というべきもので、わけのわからない例えをして四方八方から突っ込まれ、それにプチギレしてさらにわけのわからない例えをするというものだ。

壁ド突いたら手の骨折れます、でもド突いちゃった。そいつにかかる医療費を、病気の方に回しませんか?って事じゃないの?

いや、健康保険でもこのように故意に怪我をしたものについての医療費は100%自己負担になっている。吉田氏が思うほど保険制度は甘くはないのだ。

殺人の何?絶対違う。ずっと、未来永劫、いい医療を受けたいだけや。その為に保険がある。しかし金に限界があって、どう使いますか?って事や。熱い人らも、あまりにもしょうもない社会ならもう金あんねやから一抜けするぞ?逃がしたらあかん。

これって要するに麻生太郎の「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(=患者)の分の金(=医療費)を何で私が払うんだ。」という話と同じことであって、保険制度そのものの理解がない発言だ。吉田氏には「一人は万人のため、万人は一人のため」という言葉を贈りたい。

結局己頑張りもせず、ただただ甘え、何かあった時だけよろしくお願いいたします!それは無理や。通じない。破綻してんねん。登ろうとしろ。そしてその時ケガしたらみんなで助け合おう。それだけの事。

先天性の難病患者や、発症原因もわからない難病患者にどうしろというのか?努力しなければ救わないぞと言いたいらしいが、その「努力」とやらは誰がどんな基準で決めるのか?結局結果責任だけを問われることになるのではないのか?

富士山の8合目にTシャツで震えてる奴いたら「こいつ凄いな」と「こいつアホなんかな」が半々や。それが何やねんな?笑

なんだ自己責任教の人か。みんなで登ろうとかなんとか言いながら、おちこぼれたりする人間は救う気がないのね。

俺だって自堕落な暮らししてるから将来病気確定っぽい。でも絶対診てもらう。ただ同じ事を何度も何度も、何回も繰り返し、挙げくに医者に掴みかかる人。それってどうなん?って問題提言と読んだ。それを「殺せ」とショー的に言って失敗。

腎不全患者のだれが医者につかみかかっているのだろうか?くだんの記事を読んでそんな問題提言とはとても思えなかったが?
自堕落な生活をしている自分は医者にかかるなというのが、くだんの記事の趣旨で、それを問題提起としている割にはなんで「将来病気確定っぽい。でも絶対診てもらう。」となるのか?自堕落な自分の自己責任なので「皆様の限られたリソースを使うわけにはいかない」というべきなのではないか?論理が破たんしている。

いかにも「今後の社会を考えようぜ」と主張しているようだが、一連のツィートを読む限り、「俺はお笑いという実力至上主義で金を稼いだ。だから、俺はセーフティネットを使う価値のある人間だ。お前等実績もないのに知ったかぶりをするな、利いた風なことをいうな。」というのが、この男のお考えらしい。もちろん「言論の自由」だから、そのような考えを認めないというつもりはない。
ただし、努力できたのも周囲の協力があってこそで、その中には社会保障制度が曲がりなりにも機能していたことも大きい。そしてその社会保障制度は空気のようなもので、普段は意識しないものだということを理解してほしいとだけ思う。

罹災者・貧困・障碍者そして大量殺人犯

神戸に大震災があった後、知人が仕事の関係で被災地に寄り合いバスで入ったのだが、そのバスの中でボランティアとおぼわしき男性が「せっかく来たんだから、何か大変だった話をしてくれ」と被災者に話しかけていて、車内で大顰蹙を買っていたという話をしていた。被災者であってもいつまでも泣いているわけにはいかないし、いちいち視も知らない人間に自分の経験を語る義理なんてどこにもないと思うのだが、件のボランティアの男性はボランティアに行った思い出に「正しい被災者」の話が聞きたかったんだろう。この話を思い出したのは、最近話題になったこれらの件のおかげだ。
headlines.yahoo.co.jp
www.j-cast.com
2番目の記事の「感動ポルノ」という言葉には唸らされた。
我々はもしかしたらテレビに何らかの「感動」を求めていて、それに合わない事象は全て非難の対象にされるのかもしれない。
だから
「ランチに千円も使っているから」
「ライブに行きたいなんて贅沢だ」
障碍者は苦しみの中に喜びを見つけている」
「楽しいエピソードは使えないっす」
という反応になるのだろう。
先に紹介した被災地に入ったボランティアと同じ感覚。「せっかく時間と金を使っているんだから俺が望んでいるものを見せろよ」という感覚と同じだと思えてならない。

それが、やってはいけないところまで行ってしまったのが相模原でおこってしまった障害者施設の大量殺害事件だろうと思う。
容疑者は福祉に興味があったのだという。
それは単に「感動ポルノ」を味わいたかっただけではなかったのか?
それが、現実の業務の中で色あせていき幻滅した結果の犯罪だったのではないかと思えてならない。

三宅洋平支持者に猛省を求める

先の参院選東京選挙区で落選した三宅洋平なる人物のことはよく知らないが、こんな人々が支持支援をしていたらしい。
togetter.com
勿論三宅が立候補するのも、それを応援するのも自由だがこの人物の人となりについて見過ごせない記事があったので残しておく。
masterlow.net*1
これを読む限りでは
三宅は

  • 現在のユダヤ人の大半が実はイスラエルに紐づく民族ではないということを説いた本の愛読者であり。その本は「その(=ユダヤ人)正体は中央アジアにいたカザール人がどういうわけかユダヤ教に改宗して、それが今の「ユダヤ人」となった」というものでありこれについては諸説あり、その説の大半が今では否定されているらしい説を信じている。
  • 鬼塚英昭という「トンデモ」歴史家を信じている。
  • 鬼塚はネットで言うところの「田布施システム」の創始者である。

以上を受けて

それよりなにより、こんな学術的に価値ゼロで低劣ともいえる血統陰謀論を唱える人というのはどうなんだろうか。残念ながら自分には否定的な感想しかない。

ブログ主はこういうが、全くそのとおりだと思う。

ちなみに、この批判は以前よりあったらしく三宅は随分以前にこのような記事を釈明とお詫びとしてアップしている。
ameblo.jp*2
同記事で三宅は

僕が「出自」を根拠に
安倍氏を批判する発言をとったこと、
また田布施の政治集団に触れる発言をしたことで、
むしろそれが部落問題などの朝鮮人差別につながる、
あるいは利用される情報を拡散したという、
かなり厳しい批判、お叱りを沢山いただきました。

この事で僕が正直に申し上げるのは、
同和問題などの部落問題や、戦後の在日韓国・朝鮮の歴史に、
まだ全然疎いということであり、
在日の友人などに少し立ち入った事を聞かせてもらったり、
資料や本を読み進めていく事を続けて行くしかないな、と思います。

というのだが、この記事をアップしてから1年以上経っても歴史には疎いままだったようだ。

まぁ、トンデモに融和性が高いので


を読んでも「ふーん」としか思えなかったが。

相模原市で起きた福祉施設での大量殺人事件は、被疑者の「ナチスの思想が降りてきた」という発言にともない、過去の三宅の「障害をもつ子を産んだ人も、そのことを反省しつつも、その反省を生かしながら障害とともにその子を大切にしていこう」という発言が選挙中もそうだったが、選挙後も改めてクローズアップされている。
相模原市の事件を踏まえたこの発言についての批判は
ruhiginoue.exblog.jp
というものがあるが、三宅自身はこの事件に伴う批判をどう感じているかは同人のブログを読む限りはわからない。
7月16日付の同人の記事にはこの発言についての反省と謝罪として
ameblo.jp
という記事をあげており、そこには

そして、非常にデリケートでナイーブなその心の内を、
率直にお伝えいただいた皆さんのおかげで、
「障がい」という言葉そのものに宿る差別性について
深く考える機会を持つことができました。

この言葉を用いるときに、
どれくらいの慮りが必要かも、
改めて深く考えさせられました。

と述べている。

どうもこの人物、怒られると「不勉強でした、以後注意します」というのがお詫びの言葉らしい。
謝るだけ良いじゃないか、反省するだけマシじゃないかと擁護することも可能かもしれないが、卑しくも国政に出ようという人物が基本的人権にも疎かであり、「ネットde真実」的な話にホイホイ乗っかるおっちょこちょいさは今後勉強しますという話ではないだろう。
ましてユダヤ陰謀論優生学ナチスを生みだし暴走させた思想*3であり、これに親和性が高いというのはあまりに危険だと言わざるを得ない。

そしてこのような人物を支持・支援した上記の連中も「軽薄」の誹りを免れないだろう。
猛省を促したい。

*1:2016年7月16日の記事

*2:2015年3月18日の記事

*3:といえるものでもないが

会社主催の宴会の後の罹災は労災になるか?

画期的な判決なんだそうだ。
www3.nhk.or.jp

(前略)
6年前、福岡県苅田町でワゴン車が大型トラックに衝突し、ワゴン車を運転していた34歳の会社員の男性が死亡しました。
男性は上司から会社の歓送迎会に誘われ、忙しいため断りましたが、再び出席を求められたため酒を飲まずに過ごし、同僚を送って仕事に戻る途中で事故に遭いました。
労災と認められなかったため妻は国に対して裁判を起こしましたが、1審と2審は「自分の意思で私的な会合に参加したので労災ではない」として退けられ、上告しました。
8日の判決で、最高裁判所第2小法廷の小貫芳信裁判長は、当日の男性の行動は上司の意向を受けたもので、会社からの要請といえると指摘しました。
さらに、歓送迎会は上司が企画した行事だったことや、同僚の送迎は上司が行う予定だったことを挙げ、「当時の事情を総合すると会社の支配下にあったというべきだ」として、1審と2審の判決を取り消し、労災と認めました。
飲み会の後の事故は労災と認められないケースがほとんどですが、8日の判決は事情によっては救済される可能性を示すものとなりました。
(中略)
最高裁判所の判決について、労働問題に詳しい玉木一成弁護士は、「労働者の実態を踏まえた画期的な判断だ」と話しています。
玉木弁護士はこれまでの労災を巡る裁判では飲み会が強制参加だったかどうかなど形式を重視して労災と認めないケースが多かったとしたうえで、「今回は飲み会に参加したいきさつや上司のことばを受けた労働者の意識など、実態を踏まえて労災と認めた画期的な判断だ」と評価しています。
(後略)

確かに会社主催の飲み会とはいえども出席が強制されていなかったり会費制になっていたりなど建前上は「任意参加」であったとしても、その実際は参加しないと上司等との今後の関係に良くない影響を心配していやいや参加するという「実質強制」という事も多いであろうから今まで形式上の任意性の有無だけを判断材料とする労災認定から実質までも考慮することになれば、今まで認定されなかった労災が認定されるようになる可能性も増えるであろうからそういう意味では画期的とはいえる。
では、最高裁がこの宴会を「業務の一環「と判断した点はなんだったのか?アップされた判決文*1からいくつかポイントを上げてみたい。

「上司」が会社代表者とほぼ同視できる立場のものであったこと

判決は事実認定として

本件会社の代表取締役社長であるD(以下「D社長」という。)は,本件親会社の事業企画部長を兼任し,同社の本店所在地である名古屋市にいることが多いため,本件会社の生産部長であるE(以下「E部長」という。)がその社長業務を代行していた。
(強調は引用者。以下同様)

そう、今件の「歓迎会に誘った上司」は単なる上司と言うよりも限りなく会社経営者に近い職責者からのものであり、むげに断れるようなものではなかったということだ。因みに当該会社は被災労働者を含め7人程度しか在籍していない会社であることを鑑みると、その上司との折り合いが悪くなると言うことはその人物の居場所が会社からなくなることを意味するとしても決して大げさではなかったろうと予想できる。
そういう意味では、「限りなく強制に近いものであった」と言うべきだろう。

その経費が会社の計算で支出されていたこと

E部長の発案により,中国人研修生と従業員との親睦を図ることを目的とした歓送迎会を行っており,その費用は本件会社の福利厚生費から支払われていた。

会社主催の歓送迎会であったということが認定されたと言うことだ。上記と合わせて考えるとより業務の一環の性質が濃くなると思える。
強制であったとしてもその費用がこの件でE部長のポケットマネーで全額まかなわれていたとすれば、個人の私的行為であり「業務の一環」性が薄れるのではないか。

参加時間が短く、アルコール飲料の類を飲んでいなかったこと

Bは,(中略)本件会社の作業着のまま本件飲食店に向かい,本件歓送迎会の終了予定時刻の30分前であった同日午後8時頃,本件飲食店に到着し,本件歓送迎会に参加した。その際,Bは,本件会社の総務課長に対し,本件歓送迎会の終了後に本件工場に戻って仕事をする旨を伝えたところ,同課長から「食うだけ食ったらすぐ帰れ。」と言われ,また,隣に座った中国人研修生からビールを勧められた際にはこれを断り,アルコール飲料は飲まなかった。

本件被災労働者Bは、宴会の全てに参加したわけではなく、また、アルコール類を口にしなかったという。
このことや上司Eに対しすぐ仕事に戻ることを伝えていることや、作業着を着替えることなく宴会に参加していることを考慮して、最高裁は業務の中断を認めなかったのではないか。
労働者災害補償保険法やその関連通達では休憩時間中の罹災は労働者は労働義務から解放されることより労働者災害補償保険の適用外である。しかし、運転手や休憩時間中の電話当番や夜勤中の仮眠のような「手待ち時間」中は労働義務から解放されたとはいえないとしている。
今件は終了予定時刻より早く終わればそれだけ早く仕事に復帰する必要があったわけであるし、仕事復帰を前提として着替えをせず、アルコール類を飲まなかったわけであるから、休憩時間のように業務から完全に解放されていないという評価をしたのではないだろうか。

会社への帰路途中にある従業員寮への送迎を行ったこと

もともと本件研修生らを本件アパートまで送ることは,本件歓送迎会の開催に当たり,E部長により行われることが予定されていたものであり,本件工場と本件アパートの位置関係に照らし,本件飲食店から本件工場へ戻る経路から大きく逸脱するものではない

経路を大きく逸脱するようであれば通勤労災の考え方からすれば「経路逸脱」にあたるため、労働者災害補償保険法の適用ができなくなるが、今件は宴会場と事業場を結ぶ線の中に寮があったと評価されているため「経路逸脱」にはあたらないと最高裁は評価しているが、これは上記2点をもっても「業務中」と判断されなかった場合に通勤災害の適用の余地があるということなのかもしれない。
とはいえ、上記2点並びに本来はE部長が送迎すべきことを替わってBが行っているということであるから当該送迎行為は「本件会社から要請されていた一連の行動の範囲内のもの」であり、会社の指揮命令の下業務遂行中の罹災と判断されたといえる。

労災認定は結局拡張されうるのか?

以上の点を考えると、本件事故は業務中といわれてももともとやむを得ない時間中の出来事であり*2、もしも、宴会開始時刻から最後までアルコール類を口にしていたというようなことがあれば、労災認定されなかった可能性もあるし。着替えを済ませていたとすれば業務中断と評価されていた可能性もある。また、労働者の立場として社長と同視できる人物からの参加依頼という状況からしても参加の任意性が認めにくいという事情があり、一律「宴会の後の罹災が労災と認められる」とは言い切れないように思える。

では労働者としてどうすればいいのか?

弊ブログの記事で恐縮だが
いまさらながら気をつけたいこと - kodebuyaの日記
に書いたようにこの宴会が明示または黙示的に業務の一環で行われることの確認を得るべきだろうと思う。
これから、屋外のビヤガーデンで会社の宴会をするケースが増えると思うが、くれぐれも全ての宴会の後の罹災が労災の適用を受けると考えるとむしろ危険だと思う。

*1:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/000/086000_hanrei.pdf

*2:社長付の運転手が社長の商談待ちの間に事故に遭えば、社長に「この時間は休憩時間なので好きなように過ごしなさい」と言われたなどの特段の事情がない限り、労災認定されると考えるべき