kodebuyaの日記

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小渕恵三に最大限の賛辞を送る植草一秀

「小渕優子政権」を渇望する?植草一秀(笑) - kojitakenの日記経由で知った話。

所謂「小沢信者」がかって「政権交代三種の神器」と崇め奉っていた三人のうちの一人、植草一秀小渕恵三を礼賛しているのだということだ。
上記記事が引用する植草の記事富国有徳小渕恵三氏対巧言令色野田佳彦氏: 植草一秀の『知られざる真実』によれば

自民党の小渕優子議員が衆議院本会議で代表質問に立ち、野田佳彦氏と小渕恵三氏との間には、天と地の違いがあると述べた。

 

 小渕恵三元首相は小渕優子議員の実父にあたるから、身内のことをへりくだる風習のある日本では、小渕議員の発言が顰蹙を買う可能性はあるだろう。

 

 しかし、その点を離れて考えれば、小渕議員の指摘は正鵠を射ていると思われる。

小渕元首相は小渕政権が目指す方向について、「富国有徳」との言葉を掲げた。

 

 いまの日本に欠けている最大のものは、徳のあるリーダーであると思う。

 

 本当に徳のある人物が、政治の最前線から排除されていること。これが、現代日本の最大の不幸である。

小渕恵三に賛辞を送っている。
小渕優子が指摘するように、確かに、金融再生法案はスピード成立したのであったが、これは当時の菅民主党が「政局にしない」とし、また与党自民党がほぼ民主党案を丸呑みしたからではなかったか。

現在ではどうか?
別に野田佳彦総理大臣の肩を持つわけではないが、最大与党の自民党がなにかにつけてかっての野党のように反対しているから停滞しているのではないのか?
そんな経緯を無視して代表質問に立つ小渕優子にも頭が痛いが、それを知っているはずの植草までがこれ幸いと小渕恵三親子に賛辞を送る姿にもあきれるばかりだ。

当の小渕恵三はその総理の期間中に何をやったか?
小渕恵三 - Wikipediaはこう指摘する。

1999年(平成11年)1月、自由党との連立政権発足。この事で政権基盤が安定し、周辺事態法(日米ガイドライン)、憲法調査会設置、国旗・国歌法、通信傍受法、住民票コード付加法(国民総背番号制)などの重要法案を次々に成立させた。この様な政治手腕に対して中曽根康弘元総理は文藝春秋誌において「真空総理」と評した。

同年9月、自民党総裁選でYKKの一角・加藤紘一防衛庁長官山崎拓防衛庁長官を破り総裁に再任。10月に公明党が正式に与党参加。続く内閣改造・党三役人事では、幹事長・森喜朗を留任させ、総務会長には加藤派が推挙した小里貞利を拒否、政調会長・池田行彦を総務会長に起用し、河野洋平を外相に起用した。また山崎派が推挙した保岡興治の入閣も拒否し、深谷隆司を通産相に起用した。これは総裁選後の報復人事と囁かれた。

この時の人事では早稲田大学雄弁会OBから玉沢徳一郎農林水産大臣青木幹雄官房長官を起用。また地元の群馬県から福田赳夫の娘婿の越智通雄金融再生委員長、中曽根康弘の息子・中曽根弘文文部大臣、山本富雄の息子・山本一太外務政務次官を起用した。この国会では、労働者派遣法を改正し、派遣を原則禁止・例外容認から、原則容認・例外禁止に大きく転換させた。

2000年2月、自由党の要求を受け衆院の比例代表区定数を20削減する定数削減法を強行採決で成立させた。3月には、教育改革国民会議の開催を始めた。

ということは小渕は
1.日本を右曲化させ
2.日本を派遣大国にし
3.定数削減で、左翼リベラル政党にダメージを与え
た張本人の一人だと言うことだ。

こんな人間に賛辞を送る植草にそれでも左派リベラルを自認する「小沢信者」は何とも思わないのか?あんたらが信奉する小沢一郎はそんな小渕恵三と手を組んでいたことに何も思わないのか?

私はこう言いたい。