kodebuyaの日記

労働問題が最近多くなった食レポブログです。

個人的な体験を一般化する

所謂「南京事件(「南京大虐殺」が普通という意見もあるが、

南京事件 (岩波新書)

南京事件 (岩波新書)


という比較的入手しやすい書籍もあるので、河村氏の言い方に合わせてこう書きます)は無かったと姉妹都市・南京市の中国共産党幹部らに放言した河村たかし名古屋市長だが、全く発言を撤回する様子はないようだ。

中日新聞:ページが見つかりませんでした(CHUNICHI Web)

−幹部への発言はどういう意図か。

 旧日本軍が30万人の一般市民を虐殺したと語り継がれて(南京には)記念館まである。日本国の子孫のため(歴史認識を)真実へと正すのは63歳のじいさまの社会的、政治的使命だと思っとります。

 −討論会はどういうイメージか。

 何人か、私も行きますけど、南京で開くのがいい。論点を三つか四つぐらいに絞って、日本人としての主張をはっきり言っていく。

 当時、捕虜収容所で放火事件があって、銃撃事件になってしまって一般の人が亡くなったり、容疑者を揚子江で処刑したりと、残念なことはあった。

 南京事件を勉強してきて、一般的な戦闘行為はあったが、虐殺は無かったというのが私の立場です。

 米国の高校の歴史副読本には日本軍が40万人の非武装の市民を虐殺したと載っとる。米国もこういう認識。

 姉妹都市だからこそ、真実を言い、のどの奥に刺さったトゲをきちっと抜かないかん。堂々と(南京へ)言いに行かなかんです。

 −幹部らは発言にどう反応したか。

 淡々としておられましたね。

 僕の場合、死んだおやじが南京で終戦を迎えて(現地の人たちに)本当に親切にされた。死ぬ前に「南京で優しくしてもらって、はよ帰って来られたんだわ」と言っとりました。南京事件があったとされるのは終戦の8年前。虐殺があったところでそんな優しくしてもらえるはずがないと、共産党の皆さんに言いました。南京の人たちに感謝しとるからこそ、言うんだよって。日中友好を実現するために。

 −南京にある大虐殺記念館の館長が発言を批判しているとの報道がある。

 議論が巻き起こって、いいんじゃないですか。中国も冷静に受け止めないかんですよ。

 −市長の考えが日本人の主張だと言い切れる根拠は。

 確かに日本人でも(大虐殺が)あったいう人はいますからね。大事なのは、もっと客観的に見ることじゃないですかね。日本軍はどこでどういう戦いがあったか、戦闘詳報を残してますから、抽象論じゃなくて、そういうところを一つずつ分析していけばいい。

要するに河村氏の父親の体験を河村氏なりの解釈を加えると、「南京事件」はなかったということになるというだ。
あぁあほらし...

たまたま河村氏の父親は南京で終戦を迎え、中国人から温かく迎えられただけ。その中国では当時の蒋介石が「以徳報怨」の演説をもって日本兵を取り扱ったに過ぎない。
中国では「目には目を」を採用しなかったということで事件の有無とは無関係だと言わざるを得ない。
河村氏の父親は体験しなかったということだが、一方ではタイミングが良いのか悪いのか - bat99の日記の記事の孫引きになるが

敵地に囲まれてとり残された居留民の心の動揺はかくしきれず、錯雑する不安感や、やがて日本軍の武装解除の日が迫ると、市中には邦人虐殺の風説さえながれた。

 しかし、蒋介石総統が「仇を仇でかえすな」と言ったあの「以徳報怨」の布告と、それを守った中国人の温情が日本人の生命を救ったのであるが、ときには街を歩いている日本人が突然なぐられたり、石を投げつけられたりすることもあった。

はじめに P6

といったこともあったようだ。

これほどの戦争になると*1当事者(兵士だけではなく民間人も)の数だけ経験があって何もおかしくない。
戦争を体験だけで論ずるのは盲人達が象を触って象の話をするようなものだ。個人的な体験を一般化するとかえって全容がわからなくなってしまう。

河村の父親の体験を否定・批判はしない。
だからといって、自分の父親の経験を事件が「なかった」ことの根拠とするのはあまりにも弱すぎると言わざるを得ない。

というより、一応は「事件」自体はあったというのが通説である以上河村の方になかったことに対しての挙証責任があるのは当然のことだ。

*1:というより戦争自体が特殊な体験であろう。自分がどこに所属し、どこに派遣されるかによって経験はそれぞれ大きく異なっていく