なんでそんなことになる
光市の母子殺害事件で最高裁は当時18歳の少年に死刑を言い渡した。
最高裁はこの事件を持って実質的には死刑について「永山基準」を見直したと言っていいと思うのだが、私が見る範囲の報道ではその点について言及したものはなかったようだ*1。
私自身はこの少年を死刑にしたからといって、この事件の全てが解決したとはいえないと思うし、これが被害者遺族への償いになるのかとも思うのだけれども、死刑をもって償うべきだという主張があることは認めざるを得ない。
この問題は、個々人の死生観とか罪と罰の考え方といったところの問題だから、全面的に合意するということが難しいんだと思う。
この問題はそれだけではなく国家の刑罰権をどう理解するかという問題でもあると思う。
日本の民法は自力救済を禁止しているわけだけれども、刑法も同じで国家が国民の仇討ちを禁止することによって国家が被害者に成り代わって刑罰を科すと考えるのか、犯罪者を矯正する手段に刑罰があると考えることは法哲学の観点からも大きな違いだろう。
そこでこちらの記事時事ドットコム
国民新党の亀井静香代表は22日の記者会見で、山口県光市で起きた母子殺害事件で元少年の死刑が確定することに関し、「どんな犯罪者の命であっても尊い命であることには変わりない。それを国家権力が奪うことは、私としては許し難い」と、反対する見解を示した。亀井氏は「死刑廃止を推進する議員連盟」の会長。(2012/02/22-15:01)
亀井静香の名前がなければどこかのリベラルの発言かと思うが、亀井自身は一貫して死刑廃止論者でありこの発言は一貫しているものだといえる。
ならば
なんで石原慎太郎やら平沼赳夫といった厳罰論者と手を組むのか。
そして光市の母子殺害事件で一躍名をはせた橋下徹に周波を送るのか?
この点で一致しないであろう政党ってなんなのか?
だから野合といわれてしまうのだ。
*1:もしそのような報道があればぜひご教示賜りたくお願いいたします。