本丸は裁量労働制の改悪だ
所謂「残業代ゼロ法案」が4月3日閣議決定された。
法案成立まで紆余曲折はあるのだろうが、第一次安倍内閣で頓挫した「ホワイトカラーエグゼンプション」の
焼き直し法案で、安倍首相自身も思い入れがあろうし、なによりこの制度の導入は財界の熱望するところでもあったので、今の国会内の勢力図を考えても成立するはほぼ間違いないと思わざるを得ない。残念だが。
朝日新聞は次のように報じている。
「残業代ゼロ」法案を閣議決定 裁量労働制も拡大:朝日新聞デジタル
政府は3日、労働基準法など労働関連法の改正案を閣議決定した。長時間働いても残業代や深夜手当が支払われなくなる制度の新設が柱だ。政府の成長戦略の目玉の一つだが、労働組合などからは「残業代ゼロ」と批判されている。2016年4月の施行をめざす。
新しい制度の対象は、金融商品の開発や市場分析、研究開発などの業務をする年収1075万円以上の働き手。アイデアがわいた時に集中して働いたり、夜中に海外と電話したりするような働き手を想定しており、「時間でなく成果で評価する」という。
対象者には、①年104日の休日②終業と始業の間に一定の休息③在社時間などに上限――のいずれかの措置をとる。しかし働きすぎを防いできた労働時間の規制が外れるため、労組などは「働きすぎを助長し過労死につながりかねない」などと警戒している。
改正案には、あらかじめ決めた時間より長く働いても追加の残業代が出ない「企画業務型裁量労働制」を広げることも盛り込んだ。これまでは企業の経営計画をつくる働き手らに限っていたが、「課題解決型の営業」や「工場の品質管理」業務も対象にする。
厚生労働省によると、企画業務型の裁量労働制で働く人は推計で約11万人いる。労働時間は1日8時間までが原則だが、制度をとりいれている事業場の45・2%で実労働時間が1日12時間を超える働き手がいる。対象の拡大で、働きすぎの人が増えるおそれがある。
この制度の本質が残業代ゼロというより「定額働かせ放題」にあるということは、佐々木弁護士のこちらの記事
「定額働かせ放題」制度・全文チェック!~繰り返される「成果に応じて賃金を支払う新たな制度」という誤報(佐々木亮) - 個人 - Yahoo!ニュース
を含める一連の主張の通りだと思うが、むしろこの制度の本丸は「裁量労働制」の拡大にあると私は思う。
そもそも裁量労働制とはどういう制度なのか?
労働基準法はこのように定義する。
使用者が、労使協定により所定の事項を定めた場合において、労働者を対象業務に就かせたときは、当該労働者は、その協定で定める時間労働したものとみなされる(第38条の3第1項)。
労使委員会が設置された事業場において、委員会がその委員の5分の4以上の多数による議決により所定の事項に関する決議をし、かつ使用者が当該決議を所轄労働基準監督署長に届け出た場合(届出なければ無効)、対象業務を適切に遂行できる労働者を当該対象業務に就かせたときは、当該労働者は、当該決議で定める時間労働したものとみなされる(第38条の4第1項)。
この制度は使用者にとって、相当の負担もあり、また、38条の3の規定する「専門業務型裁量労働制」については対象とされる業務が限定されているなど使い勝手がいい制度とは言えなかった。
「使い勝手がいい制度」ではないのは当然のことで、元来労働は労働者が自身の時間を提供し労働することでその対価を得るというものであり。
、佐々木弁護士のいう「結果に報酬を支払う」というものではないからだ。ましてや「結果」なるものが定量化されているならばともかく、事業主の希望する結果が出なければ時間に見合った報酬を出さなくて良いということになりかねない以上、この制度に手枷足枷をはめることは労働者保護を建前とする労働基準法の立場ではやむを得ないといえるからだ。
しかし朝日新聞の記事に寄ればこの改正案では「裁量労働制」の対象労働者の範囲を
「課題解決型の営業」や「工場の品質管理」業務も対象にする。
としており、マスコミの報道する「残業代ゼロ」対象労働者のような年収制限は盛り込まれていない。*1
思うに、「工場の品質管理」に「裁量」が入り込む余地があるとはとても考えられないし、「営業」も大なり小なり顧客の「課題を解決」する性格があり*2、この制度が成立すると日本の労使間の関係を考えると果てしなく長時間労働を強いられる労働者が急増することが予想されると言わざるを得ない。事業主にしても特殊な業務に従事する労働者より、圧倒的多数を占めるであろうそれ以外の余人をもって替え難くない業務に従事する労働者に残業代を払わずして長時間労働させることができるこちらの制度の方が魅力的であろう琴も容易に想像が付く。
この法案は閣議決定されたが成立に向け野党の同意を得るために「残業代ゼロ」の部分を撤回する可能性はあると思うが、本当に撤回すべきは裁量労働制の部分だ。
ゆめゆめ「残業代ゼロ」の撤回という「架空の利益」に騙されてはならないと思う今日この頃だ。
それでも年金は悪い制度ではない。
確かに厚生労働省のマンガは問題がある。
厚生労働省がネットで公開したこちらのマンガが非難を浴びている。
いっしょに検証!公的年金 | 厚生労働省
特に批判を浴びたのは主人公の
今のお年寄りたちは教育や医療も十分でなかった時代に自分たちの親を扶養しながらここまで日本を発展させてきました。そのおかげで今の若い世代が豊かに暮らしていることを考えると受け取る年金に差があったとしてもそれだけで若者が損とは言えないと思いませんか?
という台詞で、確かに「論理のすり替えだ」「要約すると我慢しろってことか」と取られても仕方がないと思うし、荒っぽい言い方だ。厚労省は所謂「世代間格差」を是認しているのかといわれても仕方が無いとも思う。
さらにこれを擁護する記事
「若者が損とは言いきれない」 批判集中の厚労省「年金マンガ」はそんなに悪くない?|弁護士ドットコムニュース
がこれまた批判を浴びている。
こちらのはてなブクマ
はてなブックマーク - 「若者が損とは言いきれない」 批判集中の厚労省「年金マンガ」はそんなに悪くない?|弁護士ドットコムニュース
を見ると
gabill 一部の例外を持ちだして「一概には損とは言えない」と主張するのは、「勝つこともあるからパチンコは一概に損とは言えない」と言ってるのと同じ。
twisted0517twisted0517 世代間格差が問題って炎上してるのに「世代間格差はあるけど障害者年金 遺族年金はお得」とか一体何が言いたいんだかさっぱりわからない
Pi7Pi7 要約すると自分が障害者になって家族が死ねばいいってことだな
といったコメントが目に付く。
年金制度の有意性の例に遺族年金や障害年金を出すことは同意を集めにくい。
過去、このブログでも
若者に「年金を納めるな」と説く天木直人のたわごと - kodebuyaの日記
でそのような記事を投稿したが、この言い方をすると確かに
要約すると自分が障害者になって家族が死ねばいいってことだな
一部の例外を持ちだして「一概には損とは言えない」と主張するのは、「勝つこともあるからパチンコは一概に損とは言えない」と言ってるのと同じ。
といわれてしまう。
確かに現役世代(特に20代30代)が一番の不安や不満は老齢年金という人が生きている限り必ず訪れる保険事故についてなのであって、そこを正面に論じていかなければ説得力を持てないのではないかと思える。
現行の年金制度はどのような性質なのか
現行の年金制度で多くの国民が誤解していたのは老齢年金とは「現役時代に自分の納めた年金が政府に運用され、最終的に自分に返ってくる」という民間保険会社の販売する年金保険と同じものであると認識していたことだった。
現行の制度は「世代間扶養」を柱にし、その一方で公的年金を受給する際に感じるであろう*1スティグマを少なくするために現役時代に払い込んだ保険料を基に老齢年金の支給額を決定するというものだ。
つまり「現役世代から親世代への仕送り」が老齢年金の性質なのだ。
恥ずかしながら、私自身自分の経済的な問題があり親に仕送りはしていないが、それでも70歳を超える両親が人並みの生活ができるのはもちろん両親の若い頃の蓄えもあるにしても、それ以上にそれなりに年金が支給されていることで生活の基盤が安定していることがとても大きい。
老齢年金*2の支給水準は現役世代の収入の50パーセント程度を保つこととされているが、もしも年金制度がなく全てを自分の仕送りでなんとかしようとすると現役側の負担が極めて高くなり場合によっては共倒れという最悪の事態を招きかねない。
確かに、保険料は決して低くはないし、両親がもう健在ではない方にとっては「世代間扶養」といわれても困るのかもしれないが*3、こう考えればこれだけの負担でそれなりに戻ってくると評価してやっても良いのではないかと思っている。
制度の問題は少子化の対策が遅れたこと
老齢年金の問題を語るとどうしても高齢者の増加とそれに伴う年金支給額の増加がまずは問題になるのはしょうがないのだけれども、世代間扶養の性質を考えればむしろ早急な少子化対策が必要だった。
第1節 近年の出生率の推移|平成25年版 少子化社会対策白書(全体版<HTML形式>) - 内閣府
そこのグラフにあるように日本の少子化はここ20年度頃の話ではなく、そういった部分を所轄する旧厚生省のころから本腰を入れた対策をするべきであったがバブル景気など好景気のおかげで対策が後手に回ったのではなかったか。
あたりまえだが、今生まれた子どもが社会を背負い始めるには20年近くの年月が必要なのであって、言い換えれば「20年前の無策のツケが個々に回っている」のが年金制度の現状なのだと私は思う。
それではどうすべきか
一つは「世代間扶養」の理念を降ろし、納付と需給のバランスを同じにすることだ。
しかし、ここで問題になるのは現在進行形で受給されている方々の取扱で、「あなたは既に納付した以上に受け取っているから、今後は生活保護に回ってくれ」ということになりかねず、税金の投入が更に増えることが予想され現在の日本のように公的機関自ら「水際作戦」と称した憲法違反の行為をするような状況ではろくなことにならないことが容易に予想されるので認めるわけにはいかない。
そこで、次善の策だが国はとにかく少子化対策にリソースをさき、成果が出てくればそこから20年近く先までは言い方は悪いが食いつなぐ方策を次々打つべきだ。
と誰しもが思いつくようなことしか思いつかない。
いまさらながら気をつけたいこと
年末年始特に気をつけたいこと。
忘年会後の悲劇 労災認定、無情の線引き :日本経済新聞
本文は長いのでここでの引用は避けるが、この事件で問題になったのは「二次会以降の災害は労災認定されるのか?」だ。
そもそも労災認定されうるのか?
一次会の段階で罹災していれば労災認定されたと考える。
上記記事に寄れば
当日は午後から業界団体の会議があり、男性は会社の先輩と共に出席していた。会議が終わった午後5時半すぎ、あらかじめ打ち合わせていた有志8人が近くのそば店に集まり、忘年会が始まった。
まずは生ビールの中ジョッキで乾杯。その後は麦焼酎の一升瓶を1本頼み、それぞれが水やお湯で割った。男性は幹事役で、注文を取ったり酒をついだりと忙しく動き回った。
「来年は景気が上向くだろうか」「今年はこんな失敗をしてしまった」。同じ業界に身を置き、互いに取引もある者同士の話題は尽きない。男性は用意していたパンフレットをさりげなく取引先に渡し、新製品を売り込んだ。
とある。
確かに「有志の飲み会」ということで任意性が極めて高いものではあるが、記事にあるように「事前に忘年会の出席について上司の許可を得て、仮払金を受け取って」おり、かつ「用意していたパンフレットをさりげなく取引先に渡し、新製品を売り込んだ」というのであるから、会社の黙示の業務命令があったと言ってしかるべきだから、この時点で帰宅し、そこで罹災したということであれば通勤災害が認められることは間違いがない。なお、帰宅途中なので通勤災害なのであって、同人が幹事をしている宴会の席で怪我をしたということであれば通勤災害ではなく通常の労災が認められ得るといえる。
だからこのケースでは会社の承諾のない二次会後の罹災が労災(今回の事件では通勤災害)に該当するかが問題となる。
そもそも通勤災害とは
労働者災害補償保険法によれば、「通勤」とは
「通勤とは、労働者が、就業に関し、次に掲げる移動を、合理的な経路及び方法により行うことをいい、業務の性質を除くものとする。
1.住居と就業場所の往復
2.厚生労働省令で定める就業の場所から他の就業の場所への移動
3.1.に掲げる往復に先行し、又は後続する住居間の移動(厚生労働省令で定める要件に該当するものに限る。)」*1
と定義されている。
ここで問題になるのは条文でいう「合理的な経路及び方法」である。
家を出れば真っ直ぐ会社に行き、会社を出れば真っ直ぐ家に帰れる。その途中で事故に遭えば通勤災害として労災認定されることに問題は無いとして、人間である以上生理的な欲求もあれば、赤信号待ちや開かずの踏切で足踏みをしたり、交通機関のストや事故による交通事情で迂回をやむなくされることもある。また就業時間中に行くことが出来なかった通院などやむを得ない事由で寄り道を余儀なくされることも当然にあり得る。このような場合においても通勤災害が認められないとなれば労働者にとってあまりに酷な結果になることから一定の寄り道・道草であっても労災適用される取扱になっている。
しかし一方で、必要な行為といってもフィットネスクラブに通う、帰りに待ち合わせしてデートをする等までも含むことは難しい。
なぜなら、厚生労働省令で定める要件は日用品の購入や公民権の行使、自身の治療、親族の介護といったような「日常生活上必要な行為と認められるもの」に限定されるからだ((同法施行規則8条))
それではこの二次会が「日常生活上必要な行為と認められるもの」と言えるのだろうか?
通勤とは残念ながら評価できない
結果として、判決は労災を認定しなかったのであるが私自身もこの結論はやむを得ないと思う。
一次会は会社の許可を得た上での出席なのだから、そういう意味では一次会の席は社内の延長ともいうことができる。しかし二次会は私的な飲食と言わざるを得ない。この記事では罹災労働者が独身であったか否かの情報はないが*2遺族の主張を見る限りでは独身者であったようで罹災労働者食事を取ったことを抗弁にしているが、仲間と一緒に盛り上がったとはいえ、ラーメン店で長時間滞在する時点で帰宅経路を逸脱していると評価されるのはやむをえないだろう。仕事の話しかしなかったとはいっても、サラリーマンの飲み会で仕事やその関連の話をしないことはまず考えられず、その点でも遺族の抗弁は弱いように思える。
それではどうするべきなのか
可能な限り二次会もあることを会社に事前に予告しその承諾を得るべきだろう。それが難しければ、一次会に決裁権限者を連れ出してその場で二次会に行くことの了解*3を得るのが良いかもしれない。
最後に
遺族側の主張によると、男性は忘年会の前日、取引先の現場で徹夜で働き、当日は始業前に会社の会議室で2時間半ほど仮眠を取っただけだった。出勤してきた同僚が帰宅を勧めたが「今日は忘年会があるから」と断ったという。
ということだ。社畜とまではいいたくないが熱心に仕事をしていたのだろうことは容易に想像が付く。死の直前まで仕事の話をしていたにもかかわらず(会社から遺族見舞金が出ているかどうかはわからないが)労災認定されなかったことを考えるとなんともたまらない気持ちになる。
ありきたりだが故人のご冥福をお祈りいたします。
成功体験から逃れられない創業者について
相模大野駅前で安倍首相が演説。「ボーナスが増えた人が『今日は帰りに一杯やろうか』とあそこの焼き肉屋さんにいって、ホルモンだけじゃなくカルビも3枚いっちゃおうかとなる」と笑わせた。指差した店はワタミの「わたみん家」(写真)だった(J) pic.twitter.com/7XRX6wp5KO
— 赤旗政治記者 (@akahataseiji) 2013, 7月 7
の決算状況が酷いらしい。
ワタミ、客離れ加速で危機深まる 「質」劣化深刻な居酒屋、事故と苦情多発の介護・宅食 | ビジネスジャーナル
から引用する。
ワタミが11月11日に発表した今期(15年3月期)中間連結決算(14年4-9月)の最終損益は41億円の赤字(前年同期は6億円の黒字)となった。営業損益も10億円の赤字(同25億円の黒字)で、中間期の営業赤字は1996年の上場以来初となる。
同日記者会見した桑原豊社長は「会社設立以来、最も厳しい結果」と、危機感を滲ませたが、その原因は主要3事業の総崩れ。特に主力の「国内外食事業(居酒屋事業)」が惨憺たる状況だった。
安倍晋三の経済政策のおかげで給料は上がったのだろうが、急激な円安・消費税の増税がそれを消したということだろう。
企業側としてもなんの手も打っていないということではないのではあろうが、それが実質的な値上げだったり、人不足を補うためにますます従業員に負担を求める内容なことが見透かされているのだろうと思えてならない。
「自業自得」の一言に尽きるといえばそれまでだが、結局のところ会社のガバナンスが参議院議員でありかつ創業者の顔色をうかがわなければいけないことが事態をますます悲惨なものにしている様に見える。
上記記事より引き続き引用する。
ワタミの弁当は具材が一見多彩でメニューは日替わりだが、味が毎日同じで、配達時刻が毎日バラバラで狂い、誤配も多いという指摘が多い
「ワタミの弁当はいつ来るかわからないとの苦情が多い。賞味期限が当日午後10時なのに、午後7時を過ぎてから配達に来たとの苦情もある」(同関係者)
その原因は、配達員の慢性的な不足にあるようだ。弁当配達員「まごころスタッフ」は主婦が中心で、完全出来高制の業務委託契約。同社の募集広告では「月20日、1日20軒程度で月収7万円」となっているが、同社関係者は「募集説明会で保険、税金など配達車の維持費とガソリン代、万一事故を起こした時の補償金や示談金などが自己負担とわかると、大半の応募者が席を立つ」と打ち明ける。
中間決算発表資料でも、配達員募集単価の上昇と正反対に、応募数が12年9月の90%台をピークに昨年10月以降は50%を割り続けている。この採用難から来る配達員不足が、配達サービス品質の悪さを引き起こしているようだ。
加えて正社員業務も配達員が行っていた偽装請負疑惑や、昨年12月には埼玉県熊谷営業所管内で配達した弁当に芋虫が混入していた事件が発生。他の営業所でも、人毛やビニールなどの異物混入に対するクレームが頻発している。
「ワタミの弁当が事業開始以来昨秋まで食数を伸ばしてきたのは、リピーターではなく新規客の増加によるもの。味が毎日同じで配達がいつになるかわからないのでは、食数が急激に落ち込むのは当然だ。『狩猟型営業』の限界を示している」(同関係者)
中間決算発表資料には「まごころこばこで裾野拡大も食数増にもつながらず」「まごころスタッフ増員に向けた取り組み強化も施策の効果がなく、増員できず」など反省の文言が並んでいる。
創業者自身が、居酒屋を開業するために貯めた資金は某運送会社で稼いだものと記憶している。
いまでこそ運送業の給与はしれているが、彼が勤務していた頃の某運送会社は「手取りで50万円以上!!このお金をなんに使いますか*2」といった宣伝文句でドライバーを雇っていた。今にして思えばそんな美味しい話はなく、実際は「保険、税金など配達車の維持費とガソリン代、万一事故を起こした時の補償金や示談金などが自己負担」に近いものがあったのではなかったか。
実際問題としてこのビジネスモデルが成立するのは、破格の収入があるので多少の出費や万が一の補償も可能なので安心だということにあるのであって、いくら短時間労働前提の主婦がメインとはいえ「配送にかかる全ての責任はあなたが負いなさい。給料は月7万円ほどね」では給料の割りにはあまりにも万が一のリスクが高すぎて、まともな人なら見向きもしない素人さんには手が出せない的な仕事になってしまっているといわれてもやむを得ないだろう。
創業者にしてみれば、「そんなことは僕もしてきたことであたりまえ。仕事なんだから出来高と時間に応じた給料支給も当然」という自分の出世モデルに拘泥してしまい、また。現経営陣も創業者の意向に沿った給与体系を作ることに汲々としてしまい誰も不幸になりかねない制度を作ってしまったようにしか思えない。
創業者の顔色ばかり見る経営をすると上手くいくことも上手くいかなくなるの典型例だが、創業者は何が問題なのかわかっていないんではないかと思わせるところがますますアレ感を増している。
私が大嫌いな評論家堺屋太一は「成功体験から脱却せよ」と自分ではできないこと*3を人様にたれるが、その言葉は創業者に正に当てはまる言葉だ。
彼はまだ老害と言われるような年齢ではなかったはずだが、実際にはそうなっているんだろう。
もしもそうでないのであれば、彼の耳には最早過去の様々な創業者のように心地よい言葉しか届かなくなっているんだろう。
いずれにしても悲しい話だ。
松本健一氏死去
うかつなことにこの件を先ほど知った。
訃報:松本健一さん68歳=評論家 「評伝 北一輝」 - 毎日新聞
近代日本の思想史、文学研究などで活躍した評論家の松本健一(まつもと・けんいち)さんが27日、亡くなった。68歳。年明けにお別れの会を開く。喪主は妻久美子(くみこ)さん。
群馬県生まれ。1968年、東京大経済学部卒。民間企業を経て、法政大大学院に入り近代日本文学を専攻。在学中に刊行した「若き北一輝」で単行本デビューした。右翼の巨頭のイメージが強かった北一輝の実像を実証的に明らかにした。また、現在を幕末と第二次世界大戦後に次ぐ「第三の開国」に当たるとして、日本の変革を論じた。日米関係や東アジア外交史にも詳しく、民主党政権では内閣官房参与も務めた。歴史や文学、思想史に精通し、著作や講演、テレビなどで幅広く活躍した。
この方の書物については
【再読】松本健一 「日本の失敗」---「第二の開国」と「大東亜戦争」 - kodebuyaの日記
で書いたように同氏の
日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」 (岩波現代文庫)
- 作者: 松本健一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/06/16
- メディア: 文庫
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初読の際、北一輝の研究者というので右翼系の研究者かと思いながら読み始めたのだったが、読み進めているうちに「これ左翼呼ばわりされるんだろうなぁ」と不思議な感覚に襲われたことを思い出した。
故人の冥福をお祈りいたします。
「いいことしたから嘘でもいいじゃん」とはならないの?
どうして解散するんですか?
が騒ぎになっていることを知った。
どうやら子どものふりをして世間を騙したということなんだそうで、当の本人も事実を認め謝罪しているようだ。
疑問それ自体はまっとうなものだとは思うので、何も属性を偽ることなく堂々と聞けばいいのにと思うのだが、結果として嘘をつき、その嘘がばれた後の対応も稚拙だったこともあってネット界隈の怒りを買ってしまった模様だ。
件の人物のやったことは論外であることはもちろんだが、これを批判している人たちって「水伝」とか「親学」とか「江戸しぐさ」とか「殉愛」とか「震災のメール」とか「ハーバード大学図書館の朝」とか「金持ちと結婚したいの女へのJ.P.モルガン社長の返答」等々を批判しているのだろうか。
これらを「いい話だから設定の部分が嘘でもいいじゃん」と擁護しているのであれば、件の人物の行為は必ずしも否定できないと思うんだけれども。
件の人物の意図が「子どもという衣を纏うことで政治家にこの度の解散に対する意見を世間にわかりやすく伝えるようにさせたい」ということであるならば「政治家にこの度の解散に対する意見を世間にわかりやすく伝えるようにさせたい」という部分だけを取れば否定されるべき話ではなく「いいことしたんだから設定の部分が嘘でもいいじゃん」と擁護できてしまうんだが。
「いや、本人の衆院選出馬の布石だから、ステマだから問題だ」
それいえば「水伝」とか「親学」とか「江戸しぐさ」とか「殉愛」だって同じ穴の狢としか思えないんだが。
しかし、つまらないことをして現政権批判者に対する後弾を撃ってくれたなというのが正直な感想だ。
労働教育と受け皿
若年層労働者の7割が「労働上の権利を学校で学びたかった」 | リセマム
働いていて困った経験がある若年層労働者は約6割に上り、約7割が「働く上での権利・義務を学校教育でもっと学びたかった」と回答していることが、日本労働組合総連合会が11月20日に発表した「学校教育における『労働教育』に関する調査」より明らかになった。
(中略)働く上で関わりのあることについて、学校(小学校・中学校・高校・大学・短大・専門学校・大学院)で学んだことがあるか聞いたところ、学んだ割合は、「働くことの意義について」がもっとも高く70.9%、次いで「社会の仕組みと雇用の関係について」65.6%、「職場における男女平等について」62.7%、「税金について」62.0%、「労働者の権利について」58.0%、「労働者の義務について」57.6%となった。調査項目中で学んだ割合がもっとも低かったのは、「職場でのトラブルや不利益な取扱について(内容や相談場所など)」で29.6%にとどまった。
労働教育に関する意識について、「働く上での権利・義務を学校教育でもっと学びたかった」68.7%、「働くことの意義を学校教育でもっと学びたかった」57.8%と、半数以上の若年層労働者が、学校教育で働く上での権利・義務や働くことの意義をもっと学びたかったと思っていることが明らかになった。
《工藤めぐみ》
Yahoo!ニュース - 新聞社の「定額残業制」に労基署が「是正勧告」 どういうことなのか? (弁護士ドットコム)
(前略)
●定額残業制はそもそもNGなの?「労働基準法13条には、次のように書いてあります。『この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする』」
つまり、労基法の「基準」に達していない労働契約は、無効になるわけだ。そもそも定額残業制はダメなのだろうか?
「たとえば、『残業の時間の実態はどうであれ、残業代として支払うのは定額で○円です』という合意があったとします。
一方、労働基準法37条には、『残業時間に応じ割増賃金を支払わなければならない』という規定があります」
その2つが衝突したら、どちらが勝つのだろうか?
「もし、現実に働いた残業分の割増賃金が、定額○円分を超えていないなら、合意は有効です。
しかし、現実に働いた分が、定額○円分を超えている場合、『その部分』については、法の規定に達しない合意として、無効となります」
労使合意のうち、労働基準法37条のラインを超えた部分が、部分的に無効になるというわけだ。
「労使合意は、それが個別の契約であれ労働協約であれ、法令の定める水準に達していることが必要です。労使合意と法規では、法規の効力が優先されるわけです」
●労働基準法は「最低ライン」
労働者と使用者の合意があっても、法律が優先されるのはなぜだろうか?
「労働者は使用者に対して不利な立場にあります。自由な契約内容を認めてしまうと、一方的に不利な契約内容を押し付けられかねません。
そこで、憲法27条2項は、労働条件を法律によって定めるとしています。
労働基準法は、憲法27条2項のいう『法律』の一つで、労働者の生活の最低水準を維持することを目的として定められたルールです。
したがって、労働基準法の水準を下回る労使合意は、効力を認められません」
合意が無効だと、どうなるのだろうか?
「そういった場合、労働条件は労働基準法の定めが適用されることになります。つまり、今回のような場合、労働基準法37条が適用され、割増し残業代が支払われることになります」
このように、笹山弁護士は解説していた。
ブラック企業が問題視されるようになってしばらく経つが、これが問題になったのは「過労死問題」の存在が大きかっただろうか。
勘違いされるが、労働者はその成果物に対して対価を得ているわけではなく、その人の時間を事業主に売ることの対価として賃金を得ていると日本の労働法は考えている。*1それは労働法の基幹法規でもある労働基準法はその多くの条文を労働時間に割いていることからも明らかであり、そういう立て付けにせざるを得なかったのは事業主と労働者の力関係は圧倒的に事業主が強く、ややもすると労働者を長時間酷使する労働がまかり通る事態を避ける必要があったからだ。
労働基準法のいっていることは
1. 労働者を1日単位、1週間単位で長時間労働させることは認めない。
2. 事業の関係上、やむない範囲で上記規定に反するのはやむを得ないが、その場合は労働組合なり労働者の代表の了解を得よ。
3. 超過した労働時間については割増賃金を支払わせるがこれは野放図な残業を抑止する目的である。
ということで、何か難しいことをいっているわけではないがこれを知らない労働者は非常に多い*2。確かに義務教育時点でこれらを教育する必要はある*3が、併せて労働基準監督官の増加も喫緊の課題だ。
労働者や労働条件を守るため、労働基準法などに基づき、雇用主らを監督指導する。違反者を逮捕、送検する権限も持つ。国際労働機関(ILO)は労働者1万人あたり1人以上の監督官がいることが望ましいとするが、日本は約0・5人にとどまっている。
最初に引用した記事によれば
働いていて困ったことがある人の36.4%は「何もしなかった」と回答しており、理由は「面倒だった」44.5%、「改善されると思わなかったから」39.8%、「みんなもガマンしていると思ったから」29.4%、「会社に居づらくなると思ったから」27.5%といった「あきらめやガマン」が上位となった。また、「どうすればいいかわからなかったから」20.4%、「誰に相談すればよいかわからなかったから」17.1%といった、「対応の仕方がわからない」というケースも少なくなかった。
とある。
教育を受けたとして、どこにアクセスすれば問題が解決するのかを知ったとしても、実際に動いてくれなければ期待は失望に変わる。
内向き化する日本
日本をトリモロしたい人にとっては随喜の涙を流すほど嬉しい結果が出たようだ。
日本人の国民性について、「他人の役に立とうとしている」と考える人が「自分のことだけに気を配っている」と考える人を初めて上回り、調査を行った研究所は「東日本大震災後、人との絆が多く語られた結果ではないか」と分析しています。
(以下略)
この結果そのものは初めてのものではなく、平成25年版厚生労働白書にも、若者*1についてではあるが、同様の記載がある。
平成25年版厚生労働白書 −若者の意識を探る− (本文)|厚生労働省
現在の若者は積極性に欠けると評されることもあるが、日本の未来を良くするために行動しようと思っているかと尋ねたところ、「自分に何かできると考えたことはない」と答えた人は、わずか 9.0%だった。
「仕事や学業を通じて貢献したい」と答えた人が 34.8%で最も多く、「社会的起業やボランティアを通じて貢献したい」と答えた人が 11.7%、「寄付やチャリティーを通じて貢献したい」と答えた人が 8.6%であった。「貢献したいがどのようにすべきかわからない」と答えた人(33.2%)も合わせると、日本の未来のために何かしら行動しようという意欲を持つ若者は過半数に上ると考えられ、少なくないことがわかる(図表2-1-19)。社会への貢献意欲に関する経年変化を見てみると、社会の役に立ちたいと思っている者は、1980年代後半から増加し、近年高い水準を維持している(図表2-1-20)。
「若者の意識に関する調査」においても、社会のために役立つことをしたいと思うかと尋ねたところ、「そう思う」が 20.8%、「どちらかといえばそう思う」が 59.2%であり、約 8割の若者が社会貢献に対して前向きであった(図表2-1-21)。
(同白書48-49頁)
同白書はこのほかにも若者の生活満足度の調査を行っておりこれによると
- 現在の生活については
15~39歳の8.9%が現在の生活に「満足している」、54.4%が「どちらかといえば満足している」
と回答しており、合わせて約6割の若者が、現在の生活に対して満足していた(図表2-1-1)。
「国民生活に関する世論調査」(内閣府)でも同様に、2012年の時点で、20歳代、30歳代のそれぞれ約 7割が、現在の生活に概ね満足(「満足」又は「まあ満足」)であると回答している。また、他の年齢層と比較すると、20~30歳代は、40~50歳代よりも、概ね満足している人の割合が高い(図表2-1-2)。
(同白書38頁)
であり、
- 満足感の背景は
現在の生活に「満足」又は「どちらかといえば満足」していると答えた若者に対し、その最大の理由を尋ねたところ、精神的な充実によると答えた人(82.6%)が、経済的豊かさによると答えた人(5.7%)を大きく上回った。精神的充実の中でも、好きな家族や恋人、友人等の存在による精神的充実と答えた人が全体の 55.2%と際立って多く、趣味や仕事などよりも身近な人との付き合いが、現在の若者における満足感の最大の要因となっていることがわかる(図表2-1-7)。
(同白書40頁)
であり、
- 生活満足の理由は
未婚者や離別者よりも、既婚者は、身近な人とのつながりによる精神的な充実感によって現状に満足している人の割合が高いことがわかる(図表2-1-11)。世帯収入別でみた場合、年収が高くなるほど経済力や社会的地位によって満足している人の割合が少しずつ高くなるものの、年収 1,000万円未満までは身近な人とのつながりによる充実感により現状に満足している人の割合が最も高い(図表2-1-12)。
就業形態別にみると、自営業種及び会社役員・団体役員以外は、身近な人とのつながりによる充実感により現状に満足している人の割合がいずれも 5割を超えている(図表2-1-13)。
(同白書42頁)
となっている。
また、そのような若者達は海外での就労に興味は薄く(同白書141頁)、長期雇用の下でのキャリア形成を志向した(同白書137頁)、働く目的を経済的豊かさよりも、楽しい生活を重視(同白書136頁)する若者である。
以上を踏まえて、件のNHKの報道を見てみるとこういう考え方もできる。
「他人の役に立とうとしている」人が増えていることは間違いはなく、その理由として人との『絆』が多く語られたことがあることを認めるとしても、そこでいう「他人」とは好きな家族や恋人、友人等といった自分の半径数メートルにいる「他人」なのではないか。
勿論このような生き方が悪いと言いたいわけではない。いつの時代にもこのような生き方を求める人はいたことも間違いではない。
問題にしたいのは『絆』の及ぶ範囲は手厚く面倒見もいい人が、必ずしも範囲外の人にも同じではないということだ。
そう考えなければ最近問題になっている在日朝鮮・中国人に対するヘイト問題や電車内でのベビーカー問題に代表される、日本社会における排外意識の顕在化が説明できないからだ。
内向きの社会の行き着く先については先の記事
【再読】松本健一 「日本の失敗」---「第二の開国」と「大東亜戦争」 - kodebuyaの日記で指摘したとおりだし、何よりもそれを私は恐れる。
*1:15歳から39歳まで
【再読】松本健一 「日本の失敗」---「第二の開国」と「大東亜戦争」
最近再読している本。
日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」 (岩波現代文庫)
- 作者: 松本健一
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さて、満州事変が勃発したとき、ジャーナリズムはこの昭和六年=一九三一年*1を語呂合わせで「いくさのはじめ」とよび、盛んに交戦気分をあおった(昭和九、十、十一年になると、一九三四、五、六年をもじって「いくさのしごろ」などとはやしたてた)。
戦後になると誰もが口をぬぐってしまったが、ジャーナリズムが満州事変を「いくさのはじめ」といって交戦気分をあおったとき、これを咎めたてるものはほとんどいなかった。唯一、大本教の出口王仁三郎(でぐちわにざぶろう)のみが、なんで日本人が西暦などで語呂合わせをするのか、皇紀(天皇紀元)でいえばいいじゃないかと、昭和六年=皇紀二五九一年*2を「じごくのはじめ」と語呂合わせでよんだだけである。
(同書139-140頁)
同書に寄ればマスコミも戦争を煽ったということだが、当時の戦争観を考える必要があるだろう。
台湾征伐から始まり、日清・日露・第一次世界大戦とそれに伴うシベリア出兵にいたるまで、これらはいずれも日本が外国を舞台に起こした戦いであって、少なくとも日本本土においては戦争はその悲惨さというよりも勇壮さが強調されたのであった。
一方ヨーロッパにおいては第一次世界大戦までの戦争観はその当初こそ「クリスマスまでには帰れる」という言葉が象徴するように、ロマンティックかつヒロイックなものであったが、第一次世界大戦が進むにつれ大量虐殺兵器の完成と総力戦という未だかって経験したこともないような事態を招くに至った。このことの反省から、戦後「不戦条約」を締結し(その実効性があったかどうかはともかくも)国際問題の解決手段としての戦争を放棄することを選択したのであった。もちろんナチスドイツの暴走を止める手段としてはむしろ悪用されてしまったと評価することもできるとは思うが、それはナチスドイツの無法性を読み切ることができなかったが故の事態であり、当時のイギリス首相チェンバレンの政治的決断の要素の大きな一つになったであろうことは否定できない。
一方、日本政府は第一次世界大戦の戦勝国としてそして国際協調路線の下この不戦条約を批准したのであったが、己のことではなく所詮外国の話でありこの条約の意義を国民として理解できず、旧態依然の戦争観から諸外国の満州事変に始まる一連の行動への批判に反発し、マスコミのみならず国民も戦争に熱狂するような状態に陥ってしまったのではなかったか。まさに同書の指摘する「精神の鎖国状態」だ。そして同書は、満州事変以降の戦争は「攘夷」運動なのであって、運動の結果としての第2の開国が「敗戦」だったと指摘している。そして敗者として日本は不戦条約と大西洋憲章の理念を受入れ、その結果が憲法9条に反映したと指摘している。*3
従軍慰安婦を巡る一連の問題で、岸田外務大臣は「発進力を強化する」と発言したわけだが、
Yahoo!ニュース - 慰安婦、対外発信強化=政府答弁書 (時事通信)諸外国が問題としているのは女性の人権侵害が吉田証言以外に於いても軍主導の下おこなわれた点なのであって、吉田証言という誤報があったという一点をもって突破できるようなことでは無いと思うのだが、安倍晋三以下内向きの情報発信に熱心な人々はそのようなことは気にならないようだ。戦後70年近くたち、戦争の被害者*4も少なくなり、戦争を知らない世代が日本を指導しているわけだが、彼等の戦争観が薄っぺらいことはかって本ブログでも指摘したのだが*5、精神的に鎖国状態に陥った指導者が薄っぺらいヒロイズムに酔っているとしたらと考えただけでも恐ろしく思う次第。
小渕優子辞任へ
自身の資金管理団体の不適切な支出で批判を浴びていた小渕優子が辞表を提出したとのことで、安倍晋三首相は後任人事を行うことになった。
小渕経産相:安倍首相に辞表提出 - 毎日新聞
小渕優子経済産業相(40)は20日午前、安倍晋三首相と首相官邸で会談し、自身の関連政治団体を巡る不明朗会計問題の責任を取り、辞表を提出した。調査結果を踏まえ、世論の理解が得られる説明をするのは困難だと判断した。首相は受け入れ、後任の人選に入った。2012年末に発足した第2次安倍政権で、閣僚が辞任するのは初めてとなる。
首相は「女性の活躍」を主要政策に掲げており、看板の女性閣僚が「政治とカネ」の問題で辞任することで、政権が大きな打撃を受けるのは必至だ。
(後略)
この件「だけ」が影響しているとはとうてい思えないのだが、支持率も下げてしまったようだ。
東京新聞:内閣支持率48%に下落 共同通信世論調査:政治(TOKYO Web)
内閣支持率48%に下落 共同通信世論調査
2014年10月19日 16時20分
共同通信社が18、19両日に実施した全国電話世論調査で、内閣支持率は48・1%となり、9月の前回調査に比べて6・8ポイント下落した。小渕優子経済産業相の関連政治団体をめぐる「政治とカネ」問題などが影響した可能性がある。安倍政権の経済政策による景気回復を「実感していない」との回答が84・8%に上った。
来年10月からの消費税率10%への再引き上げに反対との回答は65・9%、賛成は31・0%だった。日本でのカジノ合法化については反対が63・8%で、賛成の30・3%を大きく上回った。
原発再稼働に反対するとの回答は60・2%、賛成は31・9%だった。
(共同)
政権のウリだった「アベノミクス」の化けの皮がはがれていくなかで、更なる負担を既成路線化し、かつ「第三の矢」なるものが「カジノ合法化」と「原発再稼働」という中での相変わらずおなじみの「政治とカネ」問題が噴出したこともあり、支持率を下げたということが共同の調査結果から見て取れるというべきだろう。*1
「人気」のある安倍内閣としては赤城「絆創膏」大臣や松岡なんとか還元水大臣の疑惑をかばい続けて民意を失った前回の轍を踏むことだけは避けたいだろうし、所謂「オトモダチ」でもない小渕優子をかばいたてる義理もないだろうし、早晩引導を渡すだろうと思っていたので当然の結末としかいいようがない。むしろ小渕優子にしても早めに責任をとったことにして幕引きを図った方がダメージも少なく、次(があればだけれど)を狙うことも可能になるわけでお互いにとってベターな決断だったということだ。
次は、小渕に比べ「オトモダチ枠」に近い松島みどりがターゲットになるのだろうがこの人物の処遇によって安倍自身が前回とどう変わったのか・変わっていないのかの試金石になる。
松島の件については法務大臣という要職に就く人物の遵法意識が希薄ということが問題なのであって、その様な人物が職に就いていること自体安倍内閣の性格を明らかにするものだと思うし小渕の件よりも重大というべきだ。
小渕優子については哀れにすら思える。
こちらの記事を読んだからだ。
小渕経産相:東京育ち、選挙区と縁薄く… - 毎日新聞
小渕優子経済産業相が辞任する見通しになり、地元の衆院群馬5区からは問題化した観劇会について「親の代からの支援者をつなぎとめるために続け、ミスをした」などの声が上がった。
◇父の代の支援者つなぎとめ策?
父の恵三元首相の地盤を引き継いで衆院選に初出馬した2000年、小渕氏は2位候補の5倍近い得票で初当選。民主党が政権交代を果たした09年衆院選でも、次点の3倍近くの票を集めるなど圧勝を続けてきた。
一方、親子2代にわたり支援してきた自営業の男性は「幼いころを群馬で過ごした元首相と異なり、東京で育った小渕氏に対し親近感は薄いと感じている有権者は多い」と指摘する。50代の女性支援者は「政治家になった優子さんは人気者で全国各地に呼ばれ、地元に戻れる機会が少なかった。年に1度の観劇会を特に大事にしていたのでは」と語った。
観劇会は元首相の時代から続き、バスを連ねて東京へ向かった。別の支援者は「先代から楽しみにしていた人が多く、やめる選択肢はなかったはず。支援者へのサービスであり、後援会にとって『見えの場』だった」と話した。
ただし、元首相時代の観劇会を知る元秘書によると、「費用を負担すれば公職選挙法違反になる」というのが共通認識だった。このため往復のバスは補助席まで使って経費節減に努めていたという。【角田直哉、田ノ上達也、増田勝彦】
小渕優子がどのような人格を持っているのかなど知るよしもないが、
政治資金問題でも露呈! 小渕優子はやっぱり何も考えていない女だった!|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見
を読む限りに於いては、ただの2世のぼんぼん(女性に使うのかどうか知らないが)でしかないようだ。先代が亡くなり随分立つがその当時の秘書団がいなくなり、政治資金規正法改正も相まってそのあたりを指南できる者がいなくなってしまったということだろうか。
今の日本の選挙制度では2世3世議員が出現しやすくなることは事実であり、「地盤と看板」しかない無能な2世議員であれば、それを守るためにはこの手のサービスをせざるを得なくなるということだ。東京生まれの東京育ちのお嬢様が縁もゆかりもあるのかないのかよくわからない「地元」に戻り下々のご機嫌をお伺いするのが美しい国の選挙ということだ。
(追記)
松島みどりも辞任の意向を示したとのこと。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141020/j66761110000.html
辞任となれば肝いりの「輝く女性」の象徴でもある閣僚2名が政権を去ることになる。
*1:それでも随分高いというのが正直な感想だ。